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評者◆凪一木
その40 労働組合運動について
No.3441 ・ 2020年03月28日




■くたばれパワハラ。有休を取らせてくれ。でたらめなサービス残業許すまじ。そもそも就業規則自体を見せてくれ。
 せいぜいがたったこの程度のことですら、ほとんど全部と言っていいほどに、ビル管業界の会社は、まったく対応してくれない。労働基準法の根本違反だ。
 場当たり的で雑で「ざる」な経営陣と幹部陣に占められた会社は、騙されるに値するだけの情けない社員やアルバイトでもって構成されている。
 そこで組合運動を起こそうなどというのは、夢のまた夢。文化大革命時代にパンクを演奏するようなものである。だがしかし、これがひとたび始まってしまえば、業界全体を引っ繰り返すほどのパニックを引き起こし、維新が起きるのではなかろうか。
 常識と思われていた非常識極まりない業界の実態が明るみになり、また仕事の受ける仕組みや、会社の在り方、働き方、元請け下請けの上下構造、人間の感覚そのものが変わっていく。
 もともと私は、組合などと「お近づき」になるのも嫌だった。従兄が郵政省で、組合活動によって、嫌がらせや出世の途絶などを見てきた、という理由もある。嫌悪の理由は、従兄の悲哀以上に、「書くこと」と活動とは、静と動のようであり、一番遠いところにある水と油のようなイメージだったからだ。映画が好きでも、監督をやりたくないから、シナリオライターをやっている、というのに似ているかもしれない。シナリオライターが、文化的必要性以上に、監督業における土建屋の現場監督的な感覚が嫌な人が多いように、ドブ板的な政治的な臭いの強さが、活動に近寄りたくない理由の一つであった。だが、もう今のこの時代、そして業界における今の私の状況にあっては、静ではいられない。好き嫌いを言ってはいられない。
 かつて二〇年間にわたって、或る組合と付き合いがあった。それは日映演である。
 日映演とは、一九四六年四月二八日に発足した東宝五六〇〇名を中心とした一万八〇〇名による産別の日本映画演劇労働組合のことだ。賃金や労働条件を越えて、戦災者救済、経営・企画への参加までをも要求した日映演はストライキに突入し、「来なかったのは軍艦だけ」の第三次東宝大争議にまで発展する。四八年八月一九日に伊藤武郎委員長の「一歩後退二歩前進」という終息宣言に皆、肩を震わせて泣いたという。
 一九七一年にこの仲間が集まった。五一年の血のメーデー事件で逮捕された旧同志たちを救おうという呼びかけを元に、同窓会が開かれることとなった。この会には私も一人だけの部外者として、一九九〇年から、最後の二〇〇九年まで二〇年間ずっと出席し続けた。
 そもそもの始まりは一九一七年一〇月のロシア革命である。人類史上初の社会主義国家誕生となる革命がロシアで行われ達成された。一九一九年三月にロシア共産党(ボリシェヴィキ)の呼びかけでモスクワに二一カ国の代表が集まり開かれた大会がある。これがいわゆる「コミンテルン」第一回大会で、世界革命実現のため各国の革命運動を支援するための大会。ロシア共産党とは、前身は一八九八年に創立されたロシア最初のマルクス主義政党であるロシア社会民主労働党。この流れ(考え方)に呼応する人間が日本にも現れてくる。そして一九二二年には日本でも日本共産党が作られ、この年の一一月にはコミンテルンに加盟した。いわゆる「左翼」というのは、この共産党系のことを指す。
 一九四五年に日本社会党が出来て、大きくこれらも含めて左翼系と扱われた。一般市民から「赤」と忌み嫌われた共産党の系列と、不勉強ならばそう見えた。東宝争議では社長が、当方からは二つの「赤」を一掃すると発言した。一つは赤字、もう一つはもちろん共産党である。
 そして学生運動が盛んとなったのは六〇年安保と七〇年安保を阻止する闘いがメインだった二度のピーク時であり、最初の六〇年安保の時にはもう、「共産党系はダメだ」と排除し、ここに「新左翼」なるものが中心となっていった。一九四八年に東宝争議(正確には第三次東宝争議=七二時間ストライキ)が起きた時には、共産党の細胞が入り込んでいて、伊藤武郎、山田典吾、宮島義勇をはじめとして今井正や亀井文夫、山本薩夫に至るまでオール真っ赤っ赤(それぞれ時期を異にしつつも入党)。黒澤明もいたが、共産党入党はしていない。この闘い中に機関誌は二誌あった。東宝撮影所細胞機関誌「星」は宮森繁が編集、青年共産同盟撮影所分会機関誌「黄色い嘴」は河崎保が編集していた。この青年共産同盟というのが、当時は青共と呼ばれ、のちの民青(日本民主青年同盟)である。この民青は、七〇年安保の時でさえ名古屋大学などを中心として全国に二〇万人の学生が加盟していた。つまり、安保闘争の中心は一見、新左翼の闘いではあるが、かなりの旧左翼もいたわけだ。
 で、新左翼のほうである。まず一九五七年に日本共産党及びソ連=スターリニズムを批判し、それに代わる組織として革命的共産主義者同盟(革共同)が誕生した。これが最初の新左翼。ついで、最初に共産党の肝いりで始まった学生組織の「全学連」のうち、もう共産党ではだめだ、と日本共産党から離れて一九五八年に結成したのが共産主義者同盟。いわゆるブントと言われる組織だ。この二つが全国委員会として結びつき二つに分裂した組織が「中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)」と「革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)」で、抗争を繰り返した新左翼の中心的な二つの派閥である。一方、革共同と結ばずに独自の路線を貫いたブントの下部組織・社学同(社会主義学生同盟)は多数の分派をもたらし、マル青同(マルクス主義青年同盟)、赤報隊、怒濤派、情況派などがあって、その一つに赤軍派があった。
 さらに赤軍派のうち日本赤軍とは異にした中央軍と呼ばれるグループがいた。日本左派という新左翼路線の一つに日本共産党革命左派神奈川県委員会があり、その常任委員会である京浜安保共闘の内の人民委員会と中央軍とが結びついて連合赤軍が出来る。私が九歳の時に、このリンチ事件が明るみになるのだが、いじめであり、殺しであった。そのトラウマもあって、「運動」とかデモが、恥ずかしくてダサいことにしか思えなかった。
 だけど今、流行りもしない運動と抗議行動を、始めようと思っている。(建築物管理)







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