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評者◆凪一木
その30 身の丈に合った危険地帯
No.3431 ・ 2020年01月18日




■ビル管理は、テレビや映画で多く登場するキャラクター職業の刑事や探偵、ガードマン、自衛隊員、消防団員とは違い、目立たぬ仕事だ。メディアの主役として、一度も描かれてはいない。本来は、非常時に消火活動や避難誘導活動の司令塔の役割を担っているが、知られてはいない。具体的には「電気設備」「給排水設備」「熱源設備」「空調設備」「消防設備」の五つを「見る」仕事だ。
 電気は感電すると死傷事故となる。ボイラーは高温になると二〇〇度近い蒸気が噴き出す。燃料は危険物に該当し引火する。ガスの爆発は言うまでもない。電気室などは閉じ込められる。高所作業は、脚立の高さからでも人は死傷するのに、九尺、一一尺の脚立はもちろん、ハッスルタワー(組立式脚立)での作業もする。高置水槽、貯湯槽、冷却塔(クーリングタワー)の高さ(深さ)は人間の身長を超え命綱が必要だ。タラップだけで何の保護施設もない場合も多々あり、水量にかかわらず中蓋は落下の恐れがある。病院なら院内感染がある。猛烈な咳をしている感染患者の隣で、作業をする。水漏れも怖い。高層階の水槽量は一フロア当たり一トン以上の水量が溜められている。ボイラー、冷温水発生機、熱交換機、ヒートポンプ、ターボ冷凍機などさまざまな機械類が高速、高温、高熱、多量の水を抱えて運転されている。当たり前だが、危険と隣り合わせで、労災も多く死亡事故もある。
 にもかかわらずなのだ。素人の集まりにしか過ぎない。

 二〇一八年九月に九州大学の研究室で火災事件が起きた。遺体は四六歳の元大学院生で、自殺の可能性が高い。彼は、九州大学法学部を卒業し、博士課程を退学となるもアルバイトをしながら生計を立て、夜は研究室に出入りしていた。肉体労働のアルバイトをかけ持ちしたが、家賃も払えず、研究室に寝泊まりしていた、ということだ。
 貧困が脅かしていることはないのか。脚本家の神波史男が、『ミナミの帝王』の脚本家永沢慶樹の自殺について、追悼で書いた言葉は、今もまだしっかりと受け止められているとは言い難い。
 〈そもそも、動機についても私には全く分らない。(中略)だが僭越ながら、現在の若い映画人の自殺に「貧困」が係わっていないはずはない。(中略)もちろん経済的な行き詰りだけが「動機」ではなかったのだろう。だが、それを忖度することは、少くとも私にとっては無意味で、ただ虚しいだけのように思える。〉(『映画芸術』01年春号「破廉恥なひとつの追悼」神波史男)
 言いたくないが、桜塚やっくんの死だって、自分でワゴン車を運転して九州まで行ったのだ。経済的な余裕があれば、新幹線で行ったのではないか。
 死には説得力がある。死に向かう理由があるということに、何ら変わりはなく、死は、記憶をとどめる者に対しては語り続ける。二〇〇五年一一月に「スケバン恐子」として登場以来ほぼ三年間、瞬間風速で他を圧倒し続け吹き荒れまくった旋風が桜塚やっくんだった。番組はその後にスペシャルで放送され、もう桜塚やっくんの出ることのなくなった、何度目かのスペシャル番組が放送された、二〇一三年一〇月五日当日に、彼は亡くなった。
 ロックバンドROGUEの奥野敦士が車いす生活となったのは、再起を目指して、少々身体を鍛えようと思って力仕事の途中に落ちた。ということだが、これもまた、本当に「身体を鍛える程度の」高所作業であったのか。
 神波史男の弟子の脚本家南木顕生は、二〇一三年四月のピンク七福神と呼ばれた映画監督上野俊哉の死について、貧困の問題に言及していた。その南木自身が、翌年四月に急死する。映画界には、ピンクに限らず、生活保護を受給している者も知っているだけで数人いる。
 一四年前のことだ。妻の帰りがちょっと遅いなあ、と思っていたら、案の定、不吉な予感が当たった。妻が、会社で機械に腕を挟まれて大怪我をしていた。機械を外すのにも随分と手間取り、病院でも手術に二時間かかった。全治三カ月。傷跡は結局今でも消えていない。
 一カ月を安静にした後に、ぐしゃぐしゃになった骨がきっちりと付くかどうかというところだったが、結局は変形してくっ付いた。労災扱いにはなるが、給料は七割ぐらいしか支給されないから、生活にも影響し、炊事洗濯は全部私となった。
 ちょうどこのときの私は、月刊誌の連載がインタビューと記事と二つストップとなった。編集発行人が退社するので、雑誌のリニューアルということで、刷新されたわけだ。そういう勝負の仕方をずっとしてきたけど、それまで何とかもってきた。だが年齢が増すごとにきつい。入院はしていないが妻は、腕を吊っての通院となった。
 怪我をしたその日、妻は、休日出勤をしていた。たまたまもう一人出勤していて、機械に挟まれたときに、隣室から駆け付けてきてくれた。もし一人しかいなかったら、スイッチボタンには手が届かず、左腕を失っていた。
 その話を聞くたびに、私の身は縮む。そんな現場で働くことになった遠因が私だという痛みも同時に思う。夫(結婚相手)によっては、彼女は専業主婦として、せいぜい訪問販売の恐怖程度の毎日だったはずなのだ。
 この妻の怪我にしても、そういう現場、怪我をする可能性のある世界で生きているということである。病気や怪我で、一生を棒に振ったり、ときに命も失うのは、そんな危険な場所にいるからだ。原発での作業員は高額で、暴力団の組長やその他の得体のしれない人たちが集まっていたという話を珠洲原発で二年働いた人から聞いた。六ヶ所村の原発施設に三菱電機の子会社で七年間いたビル管の同僚は、毎日、ゴホンゴホンと得体のしれない咳をしている。
 女房は、氷で腕を冷やし、こっちは衝撃で頭を冷やしと、書いてみたところで、あまりいいオチになっていないのは、当時の動転が今も残っているからであろう。結局は、そういう場所でしか働けない事情が大前提としてある。
 ガンや交通事故のとき、見舞いにきた人のことは、全部覚えている。調子の良いだけの人は、肝心なときには絶対に来ない。普段頼りにならなそうな奴が、逆境のときに涙目で訴えてくれたことが幾度かあった。そういう人こそ、闘う友であり、危険地帯を生き抜く同志である。
 現場のレベルは危険値だけでなく、人間の粗雑さ、意地悪、無責任、ささくれ具合にも表れている。
 風が吹いている。
(建築物管理)







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