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評者◆中村隆之
キリスト者の「黒人」は内面の植民地化を受け入れた人々なのか――人は「アフリカの現前」をもはや過小評価しえないだろう
ニグロ・スピリチュアル――黒人音楽のみなもと
北村崇郎
No.3421 ・ 2019年11月02日




■特別な信仰心を有さない私のような者には宗教一般を内的に把握することは難しい。その困難をつうじて研究上謎めいて見えていたのは、キリスト教のアメリカ諸地域での定着だ。
 キリスト教の伝播を外的に捉える場合、布教活動は植民地主義と切り離しえない。北米大陸・カリブ海地域に連行された「黒人」は主にアフリカ大陸西側の大西洋岸と内陸部を出自とする。その大半はイスラームや独自の信仰を有していた以上、宣教師はこれら異教徒に福音を伝道することを至上の目的としていた。たとえば、当時のカトリック国フランスが1685年に黒人法典を制定したさいには、植民地の奴隷にカトリックの洗礼を授けることが記されている。
 この観点を深めていくと、キリスト者の「黒人」は内面の植民地化を受け入れた人々だ、と帰結されるわけだが、はたして本当にそう言い切れるか。長らく謎だったこの問いを改めて考えるさい、北村崇郎『ニグロ・スピリチュアル』はきわめて示唆的だった。
 ニグロ・スピリチュアル(黒人霊歌)とは、北米大陸の黒人奴隷が南部のプランテーションでうたってきた、キリスト教と深いかかわりをもった宗教歌である。自分たちの苦難と神による救済をうたうその悲しみの歌は、なによりも奴隷の歌であり、隷属からの解放を願う「自由」の歌である――おお、自由よ、おお自由よ! 自由は私とともに! 奴隷にされるのなら、私は墓場に埋められて主のもとへ帰り、自由となろう。
 これらの歌は、白人の目の届かないところでうたわれてきたと考えられている。たとえば、南北戦争以前から、「シャウト」と呼ばれる踊りがプランテーションでおこなわれていたことが記録されている。大きな輪を作り「腕を広げて、少し腰と身体をゆするように振りながら足を引き摺るようにして、時計の針と反対の方向に」ゆっくり全員で回るそのダンスは、アフリカ文化の名残だといわれる。ニグロ・スピリチュアルの形成期においては、奴隷の日常の経験がうたわれることが多かった。さらに、スピリチュアルに典型的な歌唱形式はリーダーが最初の五行をうたい、あとの三行をグループがうたうというアフリカ的なコール・アンド・レスポンス(応答形式)だ。「ジャズの演奏の場合には、声と楽器、また、楽器同士が掛け合いをこの形式で行うが、これも応答形式である。応答形式は黒人音楽に脈々と流れるアフリカの伝統である」。
 本書が人類学者メルヴィル・ハースコヴィッツ『黒人の過去に関する神話』(1941、未訳)に依拠して主張するように、スピリチュアルという、北米で発展し、やがてブルース、ゴスペル、ジャズへと展開する音楽形式は、アフリカ文化の連続体のもとで理解することができる。その意味でニグロ・スピリチュアルは「変わりゆく同一のもの」(アミリ・バラカ)の一形式であり、自分なりに表現すれば、キリスト教的なこの歌の在り方は、黒人奴隷による支配文化の再領有化ないしは文化の再定式化なのである。
 ニグロ・スピリチュアルを文化の再定式化だと捉え直すと、北米の黒人文化におけるキリスト教は、たとえばニューオリンズやハイチで展開したヴードゥー信仰のようなアフリカ起源の宗教と比較することができる。アフリカ的要素を色濃く引き継ぐヴードゥーもまたカトリックの影響下で独自の変容を遂げている。この意味で、アフリカから切り離されて暮らす離散民にとって重要であったのは、どのような形であれ、自分たちの信仰を生き延びさせることにあった、と考えられるかもしれない。
 日仏国際シンポジウム「プレザンス・アフリケーヌ」(ストラスブール大学、19年9月26・27日)への参加は、こうした考えをさらに深める契機となった。アフリカが存在することを意味するこの雑誌の役割は、同じように、宗主国の言語フランス語を身につけたアフリカ系知識人たちによる文化の再定式化の試みだった。雑誌が知識人のものであり民衆には届かないという批判や、真正なる黒人性からの逸脱といった批判はいまでも繰り返されるが、これらは部分的にしか当たらない。重要であるのは、宗主国の言語でもってアフリカ文化を現前させることであり、今日では、支配者の文化を「カンニバル化(食人化)」してしまうことである。
 現在フランスはアフリカ的なものを知的水準でもはや無視することができなくなった。コンゴ共和国出身の作家アラン・マバンクに次ぎ、今年度、ハイチ人作家ヤニック・ラエンズ(クレオール語読み。フランス語ではラーンス)が知の殿堂コレージュ・ド・フランスの「フランス語圏諸世界講座」を担当している。さらには「アフリカ諸世界の歴史と考古学」が常設講座に新設され、アフリカ古代史の専門家がコレージュに初めて正教授として招かれたことが話題を呼んでいる。変容を被るのは、被支配者の文化だけではない。被支配者が抑圧に抗して作りあげた文化が長い時間をかけて支配者の文化すらも変容させてしまう時代に私たちは生きている。奴隷の歌から発展した、ジャズからヒップホップに至るポピュラー音楽が世界中を席巻しているように。アフリカの文化的勝利だと安易には言えないにせよ、人は「アフリカの現前」をもはや過小評価しえないだろう。転じて日本ではどうか。当該分野の前時代的学問状況が危ぶまれる。
(フランス文学)







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