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評者◆凪一木
その10 Sの恐怖
No.3411 ・ 2019年08月10日




■すっかり、追い込まれてしまった。悪魔の手に。
 大袈裟に聞こえるかもしれない。だが、大袈裟な表現と思っている人は、明らかにまだ「あの人間」について知らない。
 たったの、以上書いた程度の文でさえ、大きく頷く人間がいたなら、その人こそ「そいつ」を知っている。その存在とは、言うまでもなくサイコパスである。
 もう、ここ数年、特に中野信子の『サイコパス』(文春新書)が三〇万部以上という大ベストセラーとなった二〇一六年以降は、そのイメージが、大きく変わっている。それは、かつての映画の中の凶悪な殺人鬼よりも、もっと身近にいる「隣の迷惑な奴の最上級クラス」といった、より真実の姿に近いものとなっていて、それはむしろ、彼らを知り、また対策を講じるうえでは、良い方向と思える。だが、そんなレベルではなく、生易しい話ではないことも事実である。
 私の会社、私の現場の話である。連載一〇回目にして、ついに、どうしても書かねばならないのだ。まずは、その「さわり」の始まりの前半部分だけを記す。連載の後半ではいずれ中心テーマになりうるであろう案件である。もし江戸川乱歩が、生きている間にサイコパスに遭遇していたなら、一九三八年にオーソン・ウェルズがCBSのラジオ番組『宇宙戦争』で全米に引き起こしたパニックをさらに早く日本じゅうを震え上がらせていたかもしれない。だが、乱歩の物語には、それと思わせる人物は出てきていない。
 ここ数年でほぼすべてのサイコパス関係の本を私は読破した。そりゃ、そうだ。身を守るために、もっと言うと命を守るために必死であるからだ。書名を上げてすべての解説をしてもよいが、最も力になると思われるのは、『サイコパスの真実』(原田隆之/ちくま新書)である。それは第一条「むやみに近付かない」ほか身を守るために必要な六箇条が二〇三ページにわたって書いてあるからだ。絶えず身に付け繰り返し暗唱している。
 どの本を読んでも共通してハッキリと、かつ確信を持って書いてあることは、「逃げろ」ということだ。これ以上近づくな。サイコパスとは距離を取れ。出来れば離れろ。関係を断て。関わるな。
 実はそのこと以外は、どの本にも本当の恐怖は書かれていない。ネット上でたまに、その体験記を見つける。しかし、しばらくすると、かなり膨大な記録さえ、消えている。対象のサイコパスに見つかって記事を消されているとは思いたくないが、おそらくは、自らが、その恐怖で消しているのであろう。その「消えていること」自体が怖い。いつまで経っても、その実態が把握されないどころか、共通認識としてすら、私がかなり親しい友人に話してさえ、信じてもらえないほどに、今なお未知の存在のままである。かなりの本が出版され始めているというのに、どこか他人事だ。中野信子の本の弱さ、或いは読む者にとっての頼りなさもまたそうだ。
 それは、彼女が、サイコパスと必然に共に過ごす時間を持っていない、または持った時間がないということだ。それゆえ、その恐怖が体験として語られることはもちろんなく、取材対象を通してしか、サンプルの資料や検査結果を通しての分析からしか出てこない言葉であり、傍観的で、他人事、余所事という読後感にしかなりようがないことだ。
 いずれ細かく書くけれども、サイコパスは、社内の同僚や上司に対してさえ、どんな手を使ってでもミスを責めることで、相手が怯んだり責任を感じたり無力感に陥ることで、自らの優位性を握っていく。そんな奴は、いくらでもいると言うだろう。それはそうだ。だが、この後に、「これはどうか」「あれもどうか」と条件を並べていくと、その全部に当てはまる人間など見たこともないことに気付くであろう。いや、人間ですらないことに気付く。もし見たことがあるなら、それはもう私が説明するまでもなく、すでに被害をこうむっていて、相手が「それ」だとすでに知っているであろう。
 ミスを責めるのに、「やる気がない」「でたらめに仕事をしている」「適当にやっている」と、精神論的な話にして、人格攻撃をもするわけだが、そこまで踏み込まれると、やりようがなくなる。手足を縛られた状態になっていく。その点を知っていて、「やる」のだが、普通の人間と違うのは、情がない。痛みがない。理屈がない。計画性もない。
 たとえば、「テロ等準備罪」とも呼ばれる組織犯罪処罰法改正案では、その疑いとなりかねない一般の人も対象になるのではないかという不安がある。そのために、あれもこれも当たり前の行動までが躊躇され制限をするようになる。つまり、実際に罪を犯さなくても、計画段階から罪に問われる可能性があるわけで、取り締まる側の力のさじ加減でいくらでもどうにでもなる。拡大解釈でもって市民弾圧装置となるように、サイコパスに牛耳られた会社や現場は、ミスを犯すまいと、子ヒツジ化した市民のように何一つ身動きがとれなくなっていく。もう完全に取り込まれているのだ。
 現場の全員が、私も含めて、彼の顔色をうかがい、自宅にいても、翌日の会社でのあり得べき惨劇を想像しながら、そのサイコパスに対して身を震わせている。私の部署は、所長のほか副所長二人に、副責任者三人と設備管理要員が一人の計七人である。私は、副責任者の一番下なので、上から数えて七人中六番目の位置である。一方のサイコパスはというと、七人中の五番目で、副責任者のうちの二番目である。この五番目の人間がまた何故、この組織を牛耳っているのか。
 所長と副責任者のトップが、このサイコパスよりも、現場にあとからやってきたという「後輩」という時間差もある。大人しい人間が集まっているという要素もある。尖った人間が、少し前までいたが、サイコパスの画策で追い出されてしまった。
 サイコパスの名を仮に最古透とする。最古は、多くの本にある通りのサイコパスの要素をほぼ全部持っている。「ほぼ」と書いたのは、犯罪歴に関してだけは、分からないからだ。少なくとも捕まってはいない。いや、そう思われるだけで、ビル管という世界は過去が見えない、見せない、問わない世界であるから、良く分からない。
 良く分かるのは、ただ、最古がそうだということだけである。
(建築物管理)







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