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評者◆凪一木
その9 ノーカントリー
No.3410 ・ 2019年08月03日




■出社して、まず面くらったのが、こいつはやくざではないのか、と思った男だ。仮にヤー公と呼ぶ。
 確かに若いころは暴走族だったようで、顔は漫才師の横山やすしそっくりで、身体はむしろ横山よりはガッチリしている。眼光の鋭い梶原一騎といった感じだ。太った佐藤慶にも見える。妻も病院に総務として勤務しているのだが、元はこの男、ビル管(中央監視室)ではなく、病院の総務にいた。常に揉めてあちらこちらと部署を飛ばされて、最後に辿り着いたのが、この現場であった。種明かしをすると、この現場(ビル管)が最後とはならず、私が辞めるときの文書一発で、もう一つ別の場所に飛ばされて、そこで一年後に退職した。
 その妻は足を引きずっている。かつて夫であるヤー公の乗るバイクで怪我をしたそうで、その罪滅ぼしなのか、毎朝車で送迎している。その帰りの運転を何度か見たが、この男の乗る車は、門を出るとき、スピードを落とさずに直角に曲がる。なにしろキチガイだ。
 毎日この男のせいで朝会は荒れる。
 「いいか。これはパワハラではないからなあ」
 大声を張り上げ、立ちあがって、教師が生徒の机の間を説いて歩くかのように、社員の机の間を、下らない言葉の間違いも含めて(レベルのことをラベルと言う。例‥「お前たちとはラベルが違うんだ」)、時に感情的に、時に恨みがましく、長々とサービス残業を強いてくる。
 恐怖の朝会は八時三〇分から始まる。八時三〇分が、われわれ派遣側の終業時間であるのに、その時間から始まること自体がおかしい。わざわざ残業込みではないか。しかも残業代を払ってもらえない。
 われわれ下っ端は、奴らをキングギドラ(首が三つある怪獣)と呼んでいた。三巨頭がいて、ヤー公とマザコンと電機小僧である。
 ヤー公は横山のヤッさん、マザコンは渋い俳優の北村和夫から渋さを一切抜いたような首の曲がった男だ。そして電気小僧は、ときどき、凶悪な事件が起きたとき、主犯でほっそりとした男や女が捕まり、その片腕的な粗暴犯丸出しの男がいるだろう。映画『ノーカントリー』のハビエル・バルデムや『007 私を愛したスパイ』のリチャード・キールを彷彿とさせるあのタイプである。これらが、タッグを組んでいるわけではなく、それぞれの思いと欲望とを別々に発揮しながら、裏では暗いつながりでもって、利害の一致でもって、最終的には、新入社員を繰り返し、繰り返しいじめては追い出すという仕組みでこの共同体を成り立たせている。
 地下二階での惨劇は、八時三〇分から始まって、長い時は一二時まで続く。残業代三時間三〇分くれよ。もちろん貰ったことはなく、無駄に怒鳴られ続ける時間である。精神的なダメージは凄まじく、私も帰りの道すがら「ぶっ殺してやる」などと独り言を言うようになった。
 まず、きっちり八時三〇分に始まらない。八時三〇分には一応は室長に当たるマザコン以外は全員揃っている。ヤー公と電気小僧には、取り巻きの男がコーヒーを入れ、ウェイターと化す。この男は、学園物に出てくる教頭先生役の穂積孝信に取りいるいびつな教職員の柳生博といった風情である。電気小僧は時々大幅に遅れるが、そのときは待っていない。だが必ず五分から一〇分以上遅れてくるマザコンが来るまでは、みな無言で待っている。マザコンは予告なしに休むことがあり、無言タイムに私はヤー公に質問する。
 「今日マザコンさん(一応名前はある)は休みなんでしょうか」
 「俺が知るわけねえだろ」
 そういってメガネの奥から睨みつけ、敵意むき出しで、お前は俺にガンを付けてるのか、といった顔を一〇分間くらい向け続ける。しばらくしたら、マザコンが何事もなかったかのように、なぜ遅れたのかの理由も言わずに、入ってきたりする。
 朝会はまず、前日の泊まりの人間が、申し送り事項を読み上げるのだが、その第一声から文句が飛んでくる。ヤー公だ。
 「声が小さい」
 同じ批判(声が小さい)をマザコンも言うのだが、このマザコンこそ、申し送り者の半分以下の声で、ほとんど聴きとることができない声で小言をしゃべる。
 「声が小さい」のあとは、場所名を言うと、「どこだか分らん。分かるように言え」と始まり、延々と吊るしあげが始まる。
 あまりのその状態が名物となって、上の階の看護師が覗きにくる。いや、要件があってやってくるのだが、一切受け付けない。
 「見世物じゃねえぞ」とドア付近のヤー公がでかい声で、看護師を怒鳴る。看護師長であろうが医師であろうが、関係ない。われわれ下っ端が、要件をうかがい、一人で現場へ向かう。それ以外の者たちは皆、悪の宴の中にいる。見せ物ではないが、ドアは常に開けっぱなしだ。
 私の入った派遣会社は、本業がビル管ではなく、警備業ゆえ、元請けであるその病院のBM(ビルマネジメント)=医療メディカル(仮名)に完全になめられているわけだ。そこは既にいた横浜ビルパートナーズを受け継いだものだ。かつて七人いたその横ビルの派遣は、今は柳生ウェイターを残すのみだ。実は「もうこの契約は旨みがない」といって撤退した。つまりは、他社が捨てた現場だ。
 横浜ビルパートナーズは横浜建設グループの子会社(どちらも仮名)で、新しい病院棟を今、現在の病院の隣に「横浜建設」で建設している以上は、本来ならば、横浜ビルパートナーズが請け負うのが筋というか、系列同士で都合がいいはずなのだ。にもかかわらず、よほどひどい現場で懲りたのか、愛想が尽きたのか、興味も失って逃げていった。そんな現場を私の入社したワールド警備保障が安い金額の契約で貰い受けた、というのが実情だ。
 そんな現場に入ったものだから、病院との契約内容の杜撰さはもとより、それ以前の「医療メディカルから横浜ビルパートナーズ」へのいじめ体質はさらにエスカレートした形でわがワールドに襲いかかってきているわけだ。
 のちに分かったことだが、この現場はビル管の中では決して特殊ではなかった。こういった入り組んだ事情の元請け下請け孫請け関係と、たらいまわし的な人事の最後の受け皿と、かつての鬱憤を晴らす電機屋などの元職人や、鬱屈した落ちこぼれが、劣等感の憂さを一気に晴らす場が、ビル管の最大の実態であった。(建築物管理)







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