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評者◆凪一木
その7 資格試験へGO
No.3408 ・ 2019年07月20日




■四月から新入社員が入ってきた。新入社員といっても年齢は六〇歳だ。昭和三四年四月四日の四並び生まれで、ちょうどその日が誕生日であったのに、誰もその話題に触れなかった。彼は資格マニアである。五月二二日に一〇三個目の資格を目指して勉強している。この世界(ビル管理)で最も重要視されている「建築物環境衛生管理技術者」はもちろん、ビル管に無関係な「宅地建物取引士」(二〇一五年三月までは「宅地建物取引主任者」)まで持っている。八つのビル管会社で一〇数か所の現場に勤務してきた。ただし、重要なポストで働いておらず、またいわゆる大手の会社に勤めていない。彼の仕事ぶりを数日見たが、現場対応はあまりできない。もちろん知識はあり、所長が「このボタンは何のためにあるかわかりますか?」などと質問をすると、所長の期待する答えの五倍くらいの量と質の返答が、立て板に水のごとき「声の大きな」しゃべりでもって、返ってくる。ではなぜ、主ポストに就かず、大手に行かないのか。
 年齢が遅いせいもある。だが基本理由は、資格を取得するのに勉強で忙しく、そんなポストや会社で働く時間がないからだろう。ボイラー技士も、「一級」「二級」後に、「特級」(弁護士並の年に五〇〇人しか合格しない)を取得するのだが、免許申請の際、「ボイラー取扱実務経験従事証明書」が必要なため、そのためだけに青山学院大学の施設で勤務していた。無駄な働きに見える行為を繰り返している。仕事のための資格というよりも、資格のための資格にさえ見える。「なぜ資格をそんなにたくさん取り続けるのか」を尋ねてみた。登山家に「なぜ山に登るのか」と聞くのと一緒だと答えた。「そこに山があるからだ」という。
 彼に趣味はないかというと、去年富士山に登っているので、登山はその一つだろう。彼曰く「芸能の仕事」という俳優業もあり、これらはどう見ても趣味のようである。東映の戦隊物や、ピンク映画、Vシネマ、AV作品にも出ているという。二〇〇四年九月にはテレビ朝日「銭形金太郎」という深夜番組に「資格王の役者」として登場している。当時はまだ五〇幾つの資格数であったという。仮に彼を「銭さん」と呼ぶ。
 銭さんには二つのこだわりがある。一つは、国家試験及び公的資格以外の民間資格は取らない。権威を感じないからのような話をしているが、本当の理由は、範囲を広げると、人生の残り時間では、人生の意味を失いかねないほどの分裂を起こすからではないかと私は感じている。二つ目は、更新物は取らない。自動車普通免許のように数年ごとに更新料金が発生するものだ。消防設備士等は、一類から七類まであって、それぞれに更新料を取られる。したがって、ビルメンの世界ではかなり必要な部類で、しかも取りやすい資格なのに、彼は消防を持っていない。
 さて一〇三個目の資格は、「ガンマ線透過写真撮影作業主任者」である。すでに「エックス線作業主任者」資格を持っているのだが、これは『労働政策研究報告書』(独立行政法労働政策研究・研修機構/二〇一〇年五月発行)によると、就く職業順位が載っていて次のとおりである。一位が放射線利用機器技術者(一〇・五%)、以下は非破壊検査員(八・一%)、分析化学技術者(五・六%)、原子力技術者(四・八%)などで、ビル管理は出てこない。資格取得の最終学歴でトップは大学院の四一・九%だ。銭さんは、経済的理由で大学には行かなかったが、その後三〇歳を過ぎて一つ目の大学を通信で卒業し、四〇歳を過ぎて、東京六大学の一つをやはり通信で卒業している。
 ガンマ線の次の一〇四個目は「高圧ガス丙種化学責任者(液化石油ガス)」を取るという。「それだけ持っていると、日本で一〇本の指に入る資格マニアではないか?」と訊くと、そうでもないという。銭さんには、東大工学部を出てコンピュータの仕事をしている友達がいるのだが、彼はまだ四〇才で四〇〇の資格を持っているという。
 ところで、私は今年、「建築物環境衛生管理技術者」を受けようと思っている。年一回で受験料一万三九〇〇円。受験資格は、規定の建築物勤務及び設備業務に携わる二年以上の実務経験だ。試験は午前一八〇分、午後一八〇分の、合計六時間という長丁場である。いわゆる「ビル管理士」「ビル管理技術者」はどちらもこの資格を指しており、通称「ビル管」と呼ばれる。面積が三〇〇〇平方メートル以上(学校施設の場合は八〇〇〇平方メートル以上)の施設に必ず一人設置が必要な資格のため、ビルメン世界では最重視される資格だ。人気は上昇中で、去年(二〇一八年)が過去史上最多の一万一〇九六人受験している。合格率は二一世紀に入っての平均が一九%。偶数奇数年の凸凹で、実は今年は分が悪い。予想では一四%程度だ。銭さんは三七歳(九六年合格率一二・二%)のときに取っている。さっそく「合格の秘訣」を尋ねてみた。
 「ビル管は、一〇カ月勉強することです。何よりも勉強時間を確保することです」
 ところでビル管は、一〇月の第一日曜日が試験日と決まっている。いまは四月だ。つまり「あと六カ月」ではないか。まだ何も手をつけていない私にとって「一〇か月」と言われると、もう今年は諦めるしかないのか。
 原稿を書くときには、一時間で一〇枚も二〇枚も書けるときもあれば、何日かかっても、一枚も進まないときがある。これと違って、試験勉強というものは、時間がものを言う。或る時間分をやれば必ず効果があり、一枚も進まないというような事態には陥らない。一方で、何もしなくとも飛躍的に進む時間というものは存在しない。短時間で広い範囲を理解するのは無理なのだ。映画を観るのに早回しで観ては「観たこと」にならないのに似ている。二時間の映画を観るには、二時間を要するわけだ。
 合格率が五~一〇%の、ビルメンテナンスもう一つの難関「電験三種」は、勉強時間が一〇〇〇時間必要と言われている。しかし、一八〇問を毎日一時間で何とかならないか。残り日数を数えたらちょうど一八〇日だ。さて、昨日がその初日だった。何もしないうちに寝てしまった。勉強時間ゼロ。この先どうなることやら……。
(建築物管理)







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