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評者◆殿島三紀
寓話‥現実ともう一つの世界をつなぎとめるものとしての象徴――監督 アリーチェ・ロルヴァケル『幸福なラザロ』
No.3398 ・ 2019年05月04日




■『ぼくの好きな先生』。前田哲監督作品。東北芸術工科大学で映画を教えていた監督が、同校で絵の先生をしていた同僚・瀬島匠を撮ったドキュメンタリー映画。愛車のジープに画材一式を詰め込んで山形、飯能、因島と飛び回る先生を追っかけるロードムービーである。おじさん同士の気軽なおしゃべりにひきずられるように、楽しい芸術家の日々を垣間見つつ、期せずして明かされる先生の家族の歴史に人生を思う。
 『希望の灯り』。監督はトーマス・ステューバー。原作はクレメンス・マイヤー。旧東独出身の作家と監督がライプツィヒの巨大スーパーマーケットを舞台に撮った映画だ。ベルリンの壁が崩壊して早や30年。それ以後の波に乗りきれなかった人や器用に生きられない生活者たちを静かにみつめた作品。「美しく青きドナウ」の調べに乗ってフォークリフトが倉庫の通路を移動する様子に魅せられる。地味なのに沁みる作品。
 『沈没家族 劇場版』。加納土監督が大学の卒業制作として発表したドキュメンタリー映画。学生の作品ながら各賞を受賞し、メディアでも取り上げられ続け、劇場公開に。シングルマザー・加納穂子が90年代に始めた共同保育に集まった保育人たちが共に生活した日々を、そこで育てられた当の本人である監督が映画化。「沈没家族」は当時「男女共同参画を進めると日本は沈没する」という政治家の発言に怒った穂子の命名に由来。
 さて、今回紹介するのは『幸福なラザロ』。イタリアの鬼才アリーチェ・ロルヴァケル監督作品である。観終わった後、あるいは観ている間も、不思議な心持ちになる映画だ。前作『夏をゆく人々』同様、時代不詳の作品。人が生きる「今」という時を描き出しているとでもいえばいいのだろうか。
 ラザロは新約聖書「ヨハネによる福音書」に登場する人物で、キリストの奇跡によって死後4日目に復活する聖人だが、本作の主人公ラザロは純朴な田舎の青年。いつも襟ぐりが伸びた洗いざらしのシャツを着ている。村人たちの手伝いをし、人が嫌がる仕事も黙々とこなす。いいようにこき使われながらも仲間に入れてはもらえない。疑うことも怒ることも欲しがることもない。こんな彼を人はバカにする。
 だが、彼のその澄みきった美しい瞳。その美しい目と整った顔立ちに不釣り合いなモッチリとした体。琴奨菊の身体にボッティチェリの天使の顔がついているようだ(言い過ぎか)。美しい顔にはスレンダーな肉体でなくては、との思い込みに一撃を喰らった。そして、彼も村人たちもその村もどう見ても現代とは言い難いのに、舞台が1980年代というのも不思議だ。種明かしをすれば、イタリア農村部は近代化が遅れ、小作制度が廃止されたのは1980年代初頭のことだからなのだが。映画は、或る侯爵夫人が小作制度の終焉を農民たちに告げず、彼らを小作人のままにして搾取し続けてきたという実際にあった事件を基にしている。80年代のイタリアにヴィスコンティ監督の『山猫』の舞台が出現してしまったような事件ではないか。そうそう、『山猫』でアラン・ドロンが演じたタンクレディと同名の侯爵夫人の息子が本作では重要な役回りを演じている。この不良息子がラザロを巻き込んで起こした自作自演の誘拐事件が侯爵夫人の悪事を世の中に知らしめることになるのだ。侯爵夫人が逮捕され、解放される農民たち。だが、結局、彼らは住み慣れた村を離れ、都会の底辺で生きるしかなかった……。
 映画は十数年の月日が過ぎた村人たちを映しだす。タンクレディも村人も歳をとったが、ラザロは青年のまま。ドロドロした事件を背景にしながら、映画はまるで寓話のようだ。38歳の若い監督は「寓話は現実ともう一つの世界をつなぎとめるものとしての象徴」と語る。鬼才である。
(フリーライター)







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