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評者◆谷岡雅樹
二〇一一年七月二二日の七二分間――エリック・ポッペ監督『ウトヤ島、7月22日』、ポール・フェイグ監督『シンプル・フェイバー』
No.3391 ・ 2019年03月16日




■問題提起になるか分からないが、まずは『スリー・ビルボード』事案である。アカデミー賞最優秀作品賞受賞の上に、発売中の『キネマ旬報』決算号では、評論家、読者選出ベストテンともに第一位に輝いている。
 この監督マーティン・マクドナーの前作『セブン・サイコパス』を観て、「きっといつか人気作品を撮るだろう。ただし、私のとても好きになれない手法において」と感じていた。つまり、この手の監督の一番よくないのが、少しでもまともなことを考えてしまうことだ。だがしかし、結局は余計な欲を出してしまう。主人公の婆さんが、不真面目のままではないところが問題だ。たとえば、小男が言い寄ってくるアプローチに対して、詰まらないありきたりの避け方(かわし方)をする。ビッグ・バッド・ママ(A・ディキンソン)には成れない。グリソム・ギャングの婆(A・デイリー)には成れないわけだ。だから白けてしまう。それで最後は、デス・ウイッシュ(狼よさらば)シリーズ「街のダニを警察に代わって一掃する」という考え方になる。ラストを観て、「主人公は思い留まったのだ」という解釈の人もいるが、テンションが落ちて気が変わった程度の婆さん、及び相棒の警官である。
 町山智浩は、三つの看板がそれぞれ主要人物三人のキャラクターであり、看板の裏側が、アッと驚くもので、人間の表裏を楽しむ作品だと、ラジオで語っていたが、ピンと来ない。「表面だけでは分からない裏の顔」と言うが、彼らは裏も含めて一面的すぎやしないか。
 『キネマ旬報』での選出理由を拾っていくと、石飛徳樹〈物語の展開や人物造形が極めて独創的。復讐の連鎖を断ち切る道筋を示した〉、石村加奈〈ダークな笑いを沈殿させて刺激的〉、内海陽子〈泣き寝入りは我慢できない性格を小気味よく刺激する映画〉、垣井道弘〈理不尽な理由で家族を亡くした母親の怒りの強さと苦悩の深さに説得力があり、迫真の演技に心を揺さぶられた〉、土屋好生〈正義を貫くために徹底抗戦する母親の気迫にただただ圧倒された〉、平田真人〈意外な人物の改心が一縷の希望を感じさせる〉、渡辺祥子〈出色のヒロインに拍手した〉……以上は、結局は、暴発するヒーロー像と、意外な物語展開の刺激を求め、快哉を叫んでいる。自分の立てた看板が焼かれたと知るや、確かめることもなく警察署に火炎瓶を投げ込む我が道を行く婆さん。その馬鹿っぷりに驚きはするが、面白がることのできるシーンではない。
 ラストで婆さんは妙な行動を取る。事件に同情し、怒りに任せた警官が、この事件の犯人ではない、別の場所でのレイプ犯を見つけて、そいつを代わりにやっつけてやろうと意気込む。この算段に乗っかろうとする婆さんとの唐獅
子牡丹もどきのドライブで終わる。その自称レイプ犯の友人への自慢話は、実際はホラ話かもしれぬ。男から予想できるのは「レイプ犯もどき」の世界観である。そういう街のダニを、お上に代わって、やっつけるのは、『必殺』ほか日本の定番だが、しかし、そこには、決定的な被害者がいて、その思いを引き継ぐ意思のバトンがある。だが『スリー・ビルボード』は、「犯人が見つからなければ、復讐の相手は、別の同罪の人間でもいいだろう」という考えを、真面目に描こうとしているようにさえ見える。レイプや暴力の犯罪者にとって、ラストの二人は、本来は警官と遺族であるのだが、立ちはだかる壁や敵ではなく、むしろ、自らに近い「仲間」のような意味を帯びて見えるのではなかろうか。それでは、作品を作る人間が孤独から逃げている結果になる。闘えよ。立ちはだかれよ。
 何のために書くのか。何のために撮るのかでもよいのだが、私がものを書くのは、どうしても伝えたい人間がいるからだ。少なくとも、その対象たる彼や彼女が絶対に待っている。「お前(谷岡)が代わりにやってくれ」。そう何度も言われた。「虐げられた」と言うと大袈裟に聞こえるかもしれないが、私自身が、大きな声によって、それは暴力とも言うし、また人間の情けなく悲しい性でもあるが、それらに人生を潰されそうになりながらも生きてきた。その少なくとも同志、分かる者、同じ体験者でなくとも、ただこの遣る瀬無さを持つ者に、絶望した者に、どうしても伝えたい、届けたい。そういう言葉がある。
 私とあなたとは繋がっていて、そして大丈夫、と。かつて何度も虐げる側の馬鹿どもをやっつけることを何度も夢見てきたが、年齢も重ねて、馬鹿者どもを見過ぎて、人生とはもはやそういう問題でもないことを薄々は気付いてきた。奴らにどうすれば対抗しうるか。
 相手側の汚い生き方の方が、それゆえにルールを無視したりするがために、結果的に「強い」ではないか。そんな奴らに正攻法で、真面目にルールを守って対抗しても、勝ち目はないではないか。そう思う人もいるだろう。だが、そんなことはない。勝つ。負けない。俺たちは負けない。そんな文章を書きたい。
 『スリー・ビルボード』の主人公に共感する者たちは、悪戯に煽られて呼応するだけの、一番奥の最深部で泣いている人間ではないのではないか。一緒になって弱い者を虐める「汚い」側になろうとしてはいまいか。ネット上での評価もまた高い。ヤフー、フィルマークス、映画ドットコムは五点満点で、それぞれ、いずれも平均四点以上だ。
 この状況は何だ。異常者を面白がり、囃したて、集団リンチに加わるつもりの人間が増えているとは考え過ぎだろうか。気に留めることもない凡作だと思っていたものが、思わぬ評判でもって、どの映画も用心深く、身を引きつつ、俯瞰しながら観るようになってしまった。あんな婆と同じ強さ、逞しさなど身に付けたくはない。

て、二大女優激突の新作『シンプル・フェイバー』だ。ドラマ「ゴシップガール」一〇〇回目で、映画『紳士は金髪がお好き』のマリリン・モンローに扮した一七八センチ抜群のスタイルと大人の魅力満載の「ニュー・セックス・シンボル」ブレイク・ライヴリーが悪女で登場し、一方が、ハリウッドで今最も可愛い女優と言われ、かつ気品ある容姿の一五七センチ麗しき若手実力派アナ・ケンドリックだ。綾瀬はるかと石原さとみが夢の共演対決するような豪華決定版映画である。七〇年代初頭で言えばフェイ・ダナウェイとキャサリン・ロス。アナ、ブレイク共に甲乙つけがたく美しく、仕掛けあり、どんでん返しあり、十分に堪能できる。だが今の私は、このウエルメイド映画に酔いしれていてよいのであろうか。保険金犯罪のやりとりを笑って観ていられる日常であろうか。美女二人を観ていて、なぜこんなに楽しいのか。分からない。TVドラマの常盤貴子や真木よう子も夢中で見ている。
 〈大衆へ情熱を込めて語ったのは彼だけでした。私たちは何か新しいことを聴くために、何でもいいから新しいことを聴くために、集会に出かけたのです。経済状況に絶望していた私たちにとって、彼の語る新しいドイツは、素晴らしいものに思えました。〉これは、ナチス党員の手記にある言葉だ。「彼」とは台頭する指導者ヒトラーのことである。
 『シンプル・フェイバー』と同日公開の『ウトヤ島、7月22日』は、二〇一一年に起きた無差別テロ事件を題材とした映画だ。監督のエリック・ポッペは、こう語っている。
 「ウトヤ島の事件もまた、ヘイトスピーチに扇動された一人の男によって引き起こされた。憎悪に満ちた言葉が大惨事を招き、ウトヤ島で起こった事件は世界中で横行している過激思想への警鐘なのです」
 生命をないがしろにした「やまゆり園」の植松の行動に、快哉を叫ぶ人間がこの国には多数いることも、私は身近に知っている。辺見庸がNHKの番組で語っていた。
 「我々は、NHKの職員であれ、自分たちの生活圏にいる限り、日常生活において、直には、(植松のようには)重度障害者のもたらす飛沫を浴びるということはない。生身の人たちがリアルに生きて、息をして、排泄をする現場というものは、あんたらが言っているほど簡単なものではないよ。それを考慮するもののない考えは浅いものでしかないと思いましたね」。“人間は誰でも生きる価値がある”などという気持ちのよい正論を簡単に言う人間に対して、それはお為ごかしでショ! と突き付けたかった、と。
 「全体として社会というものが、あの青年(植松)を突き動かしたのではないか。生産性というような発想のなかに、彼のような犯行を導いていくものがあるのか、無いのか」。虐殺を後押しし大枠で導いている、と私は考える。NOと言うならば、アメリカに対してだけではなく、今、隣にいる近所や会社や友人に対して、NOを言え。「沈黙する群衆」とは、ただの「物言えぬバカ」ではなく、実は「強かな知恵者」だ。やまゆり園事件を起こさせたのは誰なのか。「あの血まみれの事件に無縁な人間はどこにもいないと私は思っています」(辺見庸)。本田靖春も、『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社)に書いている。
 〈軽薄なマスコミは、棄権率の高さを政治不信という言葉で片付けようとするが、大衆を甘やかすのはいい加減にしてもらいたい。投票に行かない連中は惰民である、と一括してはどうか。〉テレビ番組の「食べ放題」で、八八〇円で寿司六一個食べた典型的な主婦を例に挙げて、こう書く。〈皿を山と積み上げて、いたく満足したその醜悪な表情を見て、この種の同胞をごまんと持つ不孝を、私はしみじみ思った。これでは、日本の社会を変えることはとてもできない。(中略)こういう女を抱く男は、おそらく同類項なのであろう。(中略)日本人であることの不幸は、その種の同胞がどんどんと増えていると知るにつけ、いっそう深くなる。〉
 面白いものだけを紹介するなら、映画評論なんてものは職業として成立しない。
 本数が足りない。耳の痛い話をするからこそ、批評である。
 『ウトヤ島、7月22日』をこそ観てほしい。
(Vシネ批評)







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