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評者◆睡蓮みどり
私たちは、ジャン・ヴィゴのことをあまりに知らない――ジャン・ヴィゴ監督『アタラント号』『新学期 操行ゼロ』
No.3381 ・ 2019年01月01日




■金井美恵子の小説『文章教室』に登場する、断髪姿がアメリカ人女優のルイーズ・ブルックス似で人形作家志望のユイちゃんは、気まぐれでちょっと生意気なところがまたなんとも可愛いらしい女の子なのだが、自分でもよく理解していないままに難しいことを物怖じもせずに言ってみたりして、それでも彼女の若さと美貌でもって小説に登場する現役作家や批評家、評論家たちの気持ちをいつもかき乱しつつメロメロにしてしまうニクい存在だ。彼女は新宿ゴールデン街にある「アタラント」という架空のバーで働いているということになっている。
 ルイーズ・ブルックスと同年代のドイツの女優ディタ・パルロは、『大いなる幻影』(1937年、ジャン・ルノワール監督)でヒロインを務めたことで有名だろう。夢見がちな雰囲気の目元と愛らしい笑顔が印象的だ。彼女が出演した作品にジャン・ヴィゴの『アタラント号』(1934年)がある。新婚夫婦のジャン(ジャン・ダステ)とジュリエット(ディタ・パルロ)は、結婚式を終えて船に乗り込み新生活を始める。船長であるジャンは可愛い妻のジュリエットのことが大好きだが、嫉妬深い面もある。狭いアタラント号での慣れない生活に疲れてしまったジュリエットは、一瞬の気の迷いからパリでの暮らしを思って浮気をしてしまう。当然、ジャンは怒り狂う。しかし基本は愛し合っている若い二人の眩しさがこれでもかというほど情熱的に水の上で迸っていく。ジャン・ヴィゴ自身の半生については『ヴィゴ カメラの前の情事』(1998年、ジュリアン・テンプル監督)で描かれている。若いときから肺結核を患い、人生に苦悩するヴィゴに、のちの妻となるエリザベートが「自分のことを笑い飛ばすから好き」と告白するシーンがある。ヴィゴは常に陽気に生きようとしたのだ。ジャンとジュリエットの若き夫婦もヴィゴとエリザベートの狂おしいほどの愛情を投影したような輝きがある。
 劇中には所々にユーモアがちりばめられている。変わり者の老水夫ジュール(ミシェル・シモン)にまとわりつく子猫たちの演技にも本当に驚かされる。どんな体勢をしてもきちんと彼の身体のうえにバランスよく乗っているのだ。私も猫と暮らしているが、呑気なのか鈍臭いのか、よくお気に入りの本棚の上でゴロゴロしているうちにずるりと落ちそうになって、丸い目をさらにまん丸にしてびっくりした顔をしている。映画のなかの猫たちとは程遠い。
 ジャン・ヴィゴは敗血症のために29歳という若さで逝去した。そのために遺作である『アタラント号』を含めて4本しか監督作がない。29歳で亡くなった早世の天才というと真っ先に思い浮かぶのが、サックス奏者の阿部薫だろうか。『エンドレス・ワルツ』(1995年、若松孝二監督)では、女優で作家の鈴木いづみとの激しい愛の生活が描かれている。ヴィゴは同じフランス人で37歳で亡くなった詩人のアルチュール・ランボーと比較されることが多い。レオナルド・ディカプリオが主演の『太陽と月に背いて』(1995年、アグニェシュカ・ホランド監督)では、ランボーと恋人でもあった詩人ポール・ヴェルレーヌとの関係が描かれている。偶然にも先日、ヴェルレーヌの『双心詩集』にピエール・ボナールが挿絵を書いているのを新国立美術館で見たのだが、ピンク色の細い線で描かれた裸体たちはとても魅力的だった。

ャン・ヴィゴはアジトの裏で生まれた。アナキストだった父親を12歳のときに亡くしている。先出の映画『ヴィゴ カメラの前の情事』のなかでも自殺に見せかけ国家に殺されたのだと語られ、そのトラウマがいかにヴィゴに影響したかが描かれている。三作目となった『新学期 操行ゼロ』(1933年)は学校の規則に反発する生徒、反逆児たちの物語だ。女の子みたいな容姿の転校生タバールと3人の悪ガキたちが結束して自由のために権力と戦う。ヴィゴの本質的な物語はここに集約されているのかもしれない。
 フランスではジャン・ヴィゴ賞という、彼の功績を伝えるために新人監督に与えられる賞がある。残念ながら、日本で公開されない作品も多いが、2017年に受賞したマチュー・アマルリック監督の『バルバラ セーヌの黒いバラ』はつい先日公開された。自伝ものかと思うと、かなり風変わりな作品で、歌手バルバラの半生を描きながら、彼女を演じる女優と監督の狂気的な妄想の世界に連れていかれてしまうのだ。非常に実験的な手法が取られている。青山真治氏が「この映画をたぶんこの国で一番愛しているのは俺だ」と大絶賛していた。バルバラの声は奇跡的だ。バルバラを演じるにあたって歌の存在感は欠かせない。彼女を演じた女優ジャンヌ・バリバールはしかし、まさにバルバラそのものとして歌い、立っており、現実と虚構が曖昧であることを超えている。融合していると言ってもいい。バルバラの歌だと1973年のヒット曲「マリエンバード」がいい。タイトルからわかるように、アラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961年)からインスパイアされた曲だ。
 アラン・レネの『夜と霧』(1955年)やクロード・シャブロル『美しきセルジュ』(1958年)、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』(1960年)、フィリップ・ガレル『秘密の子供』(1979年)などもこの賞を受賞している。ヌーヴェル・ヴァーグにも影響を与えたのがよくわかる。ジャン・ヴィゴの偉大さについては語ってもまだまだ語りきれない。私たちは、ジャン・ヴィゴのことをあまりに知らない。
(女優・文筆家)







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