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評者◆中村隆之
カリブ海の民の避けがたい移動と交流――その交流は、男女の関係、友愛の関係においては人種や階級を越える
生命の樹――あるカリブの家系の物語
マリーズ・コンデ著、管啓次郎訳
No.3375 ・ 2018年11月17日




■2018年のノーベル文学賞は選考関係者の不祥事によって発表が見送りになったために、その代替賞が創設された。村上春樹は、この代替賞の最終候補4名のうちに選ばれたものの、執筆への専念を理由にノミネートを辞退した。10月12日、代替賞の受賞者にはフランス海外県グアドループ島出身の作家マリーズ・コンデが選ばれた。
 前回取りあげたパスカル・カザノヴァの『世界文学空間』(藤原書店)によれば、文学の世界もまた不平等構造を抱えている。マリーズ・コンデは、奴隷制の歴史と切り離すことのできないカリブ海の島の1つに生まれたのに加え、女性であることに由来するジェンダー面でのハンディを負ってきた。そんな〈周縁〉の作家が、20世紀までの文化的覇権言語フランス語を用いて独創的な文学世界を作りあげ、ついに「世界文学」の主要作家として聖別された、ということだ。ノーベル文学賞ノミネートの常連であることに加え、村上春樹が辞退したことで代替賞の受賞を有力視されていたとはいえ、長らく体調不良が伝えられる老齢のコンデが今回の機会を逃さなかったことは、この分野の研究者として、たいへん嬉しい。
 さてコンデの受賞を呼び水に改めて彼女の作品が注目されるだろうと思い、確認してみて驚いた。『生命の樹』、『わたしはティチューバ』、『心は泣いたり笑ったり』、『風の巻く丘』(以上、小説)と『越境するクレオール』(評論集)が日本語で読めるのだが、10月末の時点で購入できるのは『風の巻く丘』のみであり、あとの小説は古書か図書館でしか入手できない状況にある。そうであればこそ、筆者のお薦めの小説『生命の樹』を復刊への期待を込めてここでは取りあげておきたい。
 本書は副題にあるとおり、何世代にもわたる家系の物語だ。語り手は、ルイという苗字をもった家系に1960年に生まれた女性である。「ココ」というあだ名(本名はクロード)で呼ばれる彼女は、母テクラが18歳で産んだ子だ。テクラはジャコブを父にもち、さらにジャコブの父はアルベールという。ココは自分の曾祖父アルベールにまでさかのぼって、ルイ一族の物語を書いた。それが本書である。
 物語はアルベールに関する記述から始まる。アルベールはグアドループの黒人の大男で、パナマ運河建設の労働者として、1904年3月に移民として2年間の契約書にサインをして出稼ぎに出る。このパナマ滞在中にライザというジャマイカ出身の女性に出逢い、子供を授かる。ところがその子がジャコブであるかというとそうではない。アルベールの最愛のライザはグアドループで若くして死に、「ベール」というあだ名で呼ばれる二人の間の子(本名は父と同じアルベール)は勉学に励み、フランスに留学することになる。
 一方、ライザを亡くしたアルベールは、再びパナマに戻り、葬儀屋を始めて財をなすと、ライザからかつて聞いた夢と希望の町サンフランシスコに渡る。しかし彼の相棒ジェイコブが白人に惨殺されたことから、10年間の海外生活に区切りをつけて、意気消沈してグアドループに戻ると、今度は輸出業を始めて財を増やし(アルベールには商才があるのだ)、そしてエライーズと再婚する。このエライーズとのあいだの子の1人が祖父のジャコブである。
 このようにルイ家とは成り上がった黒人の新興ブルジョワの家系である。その創始者アルベールは、パナマ時代にマーカス・ガーヴェイの思想に触れ、黒人意識に目覚め、白人による人種差別を批判する思想を抱くようになる。財を築いたばかりに政治活動にも打って出るが、人種差別の激しい当時のカリブ海フランス領では、アルベールのような黒人に出る幕はない。白人と黒人の混血であるムラート階級の政治家や共産主義者が、アルベールの黒人主義をこてんぱんにたたきのめす。政治へのコミットメントとその苦い挫折はルイ家のなかで繰り返される悲劇となる。
 もう1つ、ルイ家を苦しめるのは、白人との結婚である。フランスに留学したベールは、瓶工場で働く白人女性と恋仲となり、彼女はやがて子を宿す。ベールは決意を固めて彼女と結婚するが、黒人主義思想の持ち主の父から勘当されてしまい、失意の中、自殺を遂げる。波乱万丈の生活を送るココの母テクラもまた、多くの男性遍歴のあと、白人の医師と結婚する。
 ルイ家とはいったい何だったのか。語り手のココは、この一族の生き方を「悪らつな生」という言葉で幾度も語る。生きているのが嫌になるような、容赦なくひどい人生だということだ。しかし、こんな人生なんて生きるのはごめんだ、という嘆き節ではなく、むしろどんな逆境にも負けずに生き抜いてやるという意思がルイ家の繁茂する生命力をなしている。
 ルイ家はモデルにすぎない。現実のカリブ海世界でもこの一族に負けずとも劣らない家系の歴史を人々は紡いでいる。そこから明らかになるのは、カリブ海の民の避けがたい移動と交流である。島は、閉鎖的であるからこそつねに開放的であり、カリブ海の島々の間での無数の移動がある。それは西成彦が注目する「マージナルな移動」であり、本書は、植民地支配による言語圏の分断を軽々と越える、移動の軌跡を見事に示している。そしてその交流は、男女の関係、友愛の関係においては人種や階級を越えるものだということも。
 小説としては、本書に込められたメッセージもさることながら、風景描写のさいの豊かな比喩も醍醐味だ。
 「アナイーズが死んで、この自殺した女が生命を愛していたことの逆説的なしるしとして、7日7晩にわたって土砂降りの雨がつづいた。6月、つまり硫黄の色に枯れた砂糖黍畑の上に光がきらめく月、ラ・ポワントの町では水がとだえる火事の月、途方もない暑さの月に、空は壊れた樋のように水をぶちまけたのだ。大地はもうたくさんというまで、ふんだんに水を飲まされた」
 土砂降りの雨をこれほどまでにイメージ豊かに描き出す、マリーズ・コンデのこの訳書に、読者が海外文学の棚で再び出合える日は、きっとそう遠くないはずだ。
(フランス文学)







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