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評者◆中村隆之
人が「民族学者」になるとき――〈自己〉の外へ、〈他者〉との邂逅へ向かった書き手たち
島/南の精神誌
岡谷公二
No.3320 ・ 2017年09月23日




■数日前、池袋から早稲田にかけて歩いているときにふとこんな張り紙を一瞥した。
 「人は他者になるのではない、一生をかけて自己になるのだ」
 普段は、街角で見かけるこうした宗教的教訓を気にも留めない筆者だが、歩きながらふと考え込んでしまった。
 筆者は〈他者〉になることを志向する書き手に共感し、また自身もそうありたいと密かに願ってきた。それは変装などの外面のことではなく、内なる〈自己〉を変容させたい、という願望だ。なぜこうした考えを抱くようになったのかは分からないが、外国語を学び、西アフリカから奴隷船でカリブ海の島へと連れてこられた人々の子孫に当たる作家を本格的に研究するようになって、その想いは深まった。フランス出身の書き手では、ランボー、セガレン、サンドラール、アルトー、ブルトン、ミショー、レリス、ジュネ、ル・クレジオという旅人をいまでも偏愛している。
 〈自己〉の外へ、〈他者〉との邂逅へ向かった書き手たち。なかにはレリスのようにほとんど〈他者〉に同一化することを望んだ人物もいる。1931年から33年にかけて、レリスはダカール=ジブチ、アフリカ横断調査団に書記兼記録係として同行した。レリスはそのときの記録を個人的な日記として書き続けた。『幻のアフリカ』と題されて出版されるその書が、この調査団の「公的記録」となる。たとえば、レリスはエチオピアでザール信仰の女性たちを調査するさなか、こう書いている――「私は憑かれた人々を研究するよりも憑かれたいのだ」。
 レリスの親友である民族学者アルフレッド・メトロー(1902~63)もまた〈自己〉を強烈に否定して〈他者〉になろうとした人物だった。そのことを良く教えてくれるのが、岡谷公二による長編評論「引き裂かれた旅人――民族学者アルフレッド・メトローの場合」だ。本論は2004年に『新潮』に掲載され、岡谷の集大成的著作『島/南の精神誌』に収められている。
 メトローは、『イースター島』(1941)や『ハイチのヴォードゥ』(1958)をはじめとする優れた民族誌を刊行した。国連とユネスコで働いたのち、パリの高等研究院第6部門(当時)の教授を歴任。いわゆる地位も名誉も手に入れた人物であるが、63年、突然の自殺を遂げる。岡谷は、この自殺に至る道程のうちに、自殺未遂経験もあるレリスとメトローに共通する気質を読みとる。
 それは二人がフランス生まれの民族学者であること、岡谷の言葉を借りればランボー以来の「西欧文明の自己否定」の系譜に連なる人物であったからだ。しかし、彼らはアフリカに出立して二度とフランスに帰ることのなかったランボーとは違った。レリスもメトローも、もとの場所、否定した〈自己〉へと回帰せざるをえなかったからだ。これが根源的な懊悩となったのではないか。そう岡谷は洞察する。
 とはいえ、岡谷の力点は、メトローのたどった一見悲劇的な結末よりも、「人はどのようして民族学者になるのか」という初発の問いのほうにある。岡谷が引くメトローの次の発言は、筆者には何よりも印象深い(以下引用は岡谷訳)。
 「大方の民族学者、とくにフィールドで仕事をする人たちは、自分自身の属する文明の中で居心地の悪さを感じている、なんらかの意味での反抗者、不安な人たちです」
 この言葉は、当時の民族学者に限らず、越境を求めるままに誘われやすい人々の気質を見事に言い当てているように思える。「自分自身の属する文明」の中で感じる「居心地の悪さ」が、異なる場所への接近、異なる文化との接触、すなわち〈他者〉との邂逅に人を導くのではないだろうか。もちろん、そうした気質を有する誰しもが、レリスやメトローのように極点にまで赴くわけではないとしても。
 レリスはメトローの『ハイチのヴォードゥ』に序文を寄せている。レリスは序文を締めくくるにあたり、メトローがなぜ憑依型の宗教として知られるヴォードゥの研究に適任だったのか、ということに触れる。
 「アルフレッド・メトローを知った人々は、みな私と同様、学者としても人間としても、彼が別してこの研究を行うのに適していたと考えるであろう。日常の平俗の壁から逃れたいという激しい欲求に自身とり憑かれていただけに、彼は、研究対象である憑かれた人々に、余人より一層の理解を持っていたからである」
 日常の中の居心地の悪さが〈他者〉に向かわせる。その極限的な例がメトローであるとはいえ、実は、このことは私たちが日常の中で経験していることだ。恋愛や、読書や、映像体験などが私たちを別の場所に誘うように。
 問題は、〈自己〉が揺さぶられ、変容するかどうか、ではないだろうか。
 その経験を自覚し、みずからの中心に据えたとき、人は「民族学者」になるのかもしれない。
(フランス文学、カリブ海文学研究)







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