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評者◆中村隆之
反復されるレザルド川――「戻り来る人の島」の異名をもつマルティニーク島にて
レザルド川
エドゥアール・グリッサン著、恒川邦夫訳
No.3314 ・ 2017年08月05日




■2017年6月26日から30日まで、カリブ海マルティニーク島のアンティル大学で国際フランス語圏研究学会の年次大会が行われた。筆者は日本と韓国からの研究者仲間と一緒にこの大会に参加し、エドゥアール・グリッサンの小説『痕跡』を題材に、同作品における動物の表象とその役割に関する報告を行った。
 会期中、日本の研究者仲間がレザルド川を見に行きたい、と言った。グリッサンの最初の小説はこの川の名を冠している。フランス語で「亀裂」を意味し、その音と綴り(lezarde)からこの島々に棲む大小さまざまな爬虫類(lezard)を思い起こさせるレザルド川は、グリッサンの小説世界のなかで、島の人々の生活と風景を凝縮し、象徴するような根源的な川として流れている。
 グリッサンは『レザルド川』でカリブ海の熱帯の島の風景を描いた。まるで登場人物ではなく島そのものが主人公であり、島が集団的言表行為の主体であるかのような語りを生み出した。それ自体がひとつの完成された小宇宙である『レザルド川』(1958)から始まり、グリッサンはマルティニーク島をモデルとする土地の物語を『第4世紀』(64)、『マルモール』(75)、『痕跡』(81)、『マアゴニー』(87)のなかで連作の手法で描きながら、その舞台を『全‐世界』(93年)にまで拡張し、アフリカの架空の民族をめぐる『サルトリウス』(99)を経て、これまでの小説での試みを凝縮したかのような『オルムロッド』(2003)で、約半世紀にもおよぶ小説のサイクルを閉じた。
 『全‐世界』以降、グリッサンの小説は、彼が言うところの〈世界としての共同体〉のための新たなる文学ジャンルの創出に向かったように思える。マルティニークの風景を描くという試みから出発したグリッサンの文学的冒険は、もはや誰も見たことのない未踏の風景にまで及んでいった。
 しかし、「最後の小説」に至るまで、グリッサンは最初の小説における主題やモチーフを繰り返し語ってきた、とも言える。グリッサンがクレオールの語り部の技法として繰り返し言及してきた「反復」は、彼の作品に応用される重要な手法のひとつだ。その観点から書かれたジュリエット・エロワ=ブレゼ『「レザルド川」から「オルムロッド」へ――反復の詩学』(2016)は、学会の会期中に出合った本のなかで、ひときわ関心を引いた。
 『レザルド川』に関する読解教材を執筆している著者は、この小説の文字通りの専門家であり、今回の著作でも『レザルド川』を中心に論じている。では何が反復されるのか。それは何よりもレザルド川それ自体であり、マチュー、タエル、ミセア、パパ・ロングエといった主要登場人物である。こうしたことはグリッサンの読者であればある程度は知っているが、何がどこまで描かれるのかを追跡するのは容易なことではない。さらに興味深いのは、抽象的なモチーフの反復であり、物語を誰がどのように書くのかをめぐって、物語の書き手が作中に繰り返し登場するという指摘だ。
 実際、政治と青春の季節を描く『レザルド川』のクライマックスでは一人称の語り手が作中人物のひとりとして登場し、マチューたちに物語を書くことを託される場面がある。「物語を書けよ。君は一番若いし、想い出せるはずだ。[……]熱を込めて本を書けよ、すべての熱を込めて。君を酔わせるそれを、君を郷愁に誘うそれを。君を守り、豊かにするその熱を込めて」。
 書くことをめぐるこうした入れ子構造は、たしかに他の作品でも繰り返される。もっとも際立つのは『マアゴニー』や『全‐世界』のなかで作中人物にして書き手という立場で登場するマチューだろう。試論の系列に位置づけられる『全‐世界論』(97)のなかにはマチューが書いた同名の著作が挿入されるという入れ子構造になっている。その点で『レザルド川』のモチーフの反復だと言えるのだ。
 100頁足らずの小著ながら、彼の小説に長く親しんできた著者だからこそ書けるものだという信頼のもとに読むことができた。著者は島の人で、グリッサンが創設した私立高校でフランス文学を教えていた。たとえば『痕跡』で主人公のマリ・スラが収監されていた精神病院が、ディディエ地区のコルソン精神病院をモデルにしていたことが何気なく書かれている。現実への隠された参照点にこのように思いがけず気づくのは、島の外に暮らす人間にはありがたい。グリッサン作品の風景をマルティニーク島のうちに見出すきっかけが得られるのだから。
 今回の滞在中、レザルド川や、グリッサンが少年時代を過ごしたラマンタン市を見学する機会は最後まで訪れなかった。しかし、だからこそ筆者の友人たちはレザルド川を改めて見に行こうとこの島にやって来てくれるのではないか、とひそかに期待している。「戻り来る人の島」の異名をもつ、この島に。そして、いずれは蝶形の群島グアドループにも。なぜならこの場所にもレザルドという名の川は流れているのだから。
(フランス文学、カリブ海文学研究)







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