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評者◆小野沢稔彦
連載38 暗黒映画の新しい出発を告示する
裏切りの闇で眠れ
フレデリック・シェンデルフェール
No.2861 ・ 2008年03月08日




 洋の東西を問わず「ヤクザ映画」には、常にパターン化された様式性があり、その美学の上に映画は成り立っていた。しかしこの映画には、ヤクザ映画の自明性を前提とする既成の映画美学は存在しない。この暗黒映画は、即物的な殺し合い、ほとんど何の根拠もない──ヤクザ映画の倫理も言説もない──殺し合いだけを、一切の神話性を排除して描くのである。フィルムノワール映画『裏切りの闇で眠れ』(F・シェンデルフェール監督)は、フィルムノワールの新しい展開を開示する中から、この時代のあり様を残酷なまでに告知する。
 映画が時代と社会を映す鏡であることは、これまで多くの人によって言われてきたことである。特に大衆娯楽映画(しかし、それは何か)こそ、作り手が意図する、しないは別に、その社会を映すことによって観客である私たちに、私たちがどんな時代を生きているかを伝えてきた。そのことは同時に、その時代が映画を作っていることでもあった。映画と社会とは相互に還流し、時代の心性を形成してきた。
 だから、そのどちらかが変質する時、他のあり様に強い影響を与え、その存在様式をも変容させる。今日の映画バブルの下で量産される日本映画の現状──映画と呼ぶのもはばかられるお子様映画が横行する──は、そのことを如実に反映している。しかし、映画の変質という現実は同じだとしても、その内実においてこの国と世界との違いは決定的である。この国以外では、現実がなぜ変質し、大衆映画はこの変質をどう受けとめ、どうあるべきかに正面から向き合おうとしているのだから。
 そこでフランス・フィルムノワールの現代的展開、あるいはかつてのそれの解体を決定的に見せてくれたのが──それは紛れもなく、この社会の解体を反映している──『裏切りの闇で眠れ』なのである。言うまでもなくこの暗黒映画は、日本の今日を反映して量産されるお手軽映画の対極にある、実に見ごたえのある快作であることを、まず言っておこう。そして、この映画の新しさとは、何よりもフィルムノワールという自明の映画美学、枠組みに決定的に終止符を打った点にある。そのことは同時に、フィルムノワールという映画の構造によっては、それが表徴していた現実らしさ、すなわち私たちが映画の中に幻視したいと想う虚構の神話性すら描くことができない時点にまで、現実が──そして何より裏社会が──変質してしまっていることを反映している。
 これまでフィルムノワールという映画様式はまず、ハードボイルド(!)な「男の美学」を描くものとされてきた。男の行動パターンから小道具にまで徹底される様式美。そこには、フランスという国境の内に自閉する男たちの作為された虚構の世界が自立していた。そう、フィルムノワールは一国主義美学なのだ。そして観客である私たちも、その神話の中で安住してきた。しかし今日、男の美学などパロディとしても成立しようもない上に、グローバル化によって総てが単一化された現代社会にあって、フランスという一国完結的な映画構造の内に、現実と直結することを建前とする暗黒映画などが成り立つはずもないのだ──旧来のフィルムノワールに登場するアラブ系やロマ系の人物は、西欧的オリエンタリズムが作り出したパターン化された存在である。そしてようやく、自立したフランス人を超えて、全ゆる人種が登場する。更に「仁義」などというほとんど気分によって成立する関係性に規定されたホモソーシャルな関係性。しかし、今日の制度化された感性しか持たない観客が、そんな危い関係性に共震する細やかな感覚など持つことはない。そして、一家の長を中心とする疑似家族的集団性。また、追う者と追われる者の役割交換性。しかし社会の現実の方こそが、そうした幻想的関係性を露骨に解体し、そうした神話を崩壊してしまう地平にまで進行してしまっているのだ。幻想を現実が解体する。
 こうしてフィルムノワールを成立させていた映画と観客の親和性は、グローバル社会の進行と、バクチ的資本主義の極限的な浸透──現実は、虚構としての映画の美学など易々と変容させる──によって、決定的に解体されてしまったのだ。そして、映画をなぞることで、現実は映画を映し出す。観客はもはや、フィルムノワールの神話の内に安住できないまま薄汚い現実の中に、神話を幻視することさえ封殺され放り出されているのだ。
 『裏切りの闇に眠れ』は、旧来のフィルムノワールが持つ幻想の神話性の一切を切り棄てる。ここには出来事として生起する即物的な殺し合いがあるのみである。今日の世界状況──周縁での紛争が世界戦争の代替として各地で戦われている──を再演するかのように、あるいは現実をフィルムに持ち込むように、倫理も論理もない殺伐とした殺し合いが全編にわたって続けられるのだ。ここにはピストルという小道具に象徴される身体性を体現する美学的殺しはない。周縁紛争を表徴する様々な小火器が現出し、裏切り(何と古いモラルか)のための裏切り──それこそが今日の裏社会の現実であり、世界の現実だ──が続くのだ。裏切りとは、ここでは生きる方法なのだ。世界は日常化した裏切りの中で一つとなった。
 昨年末に観た『あるいは裏切りという名の犬』──裏切りをテーマとしたこれも、私は大変面白く観た──が、消えゆく神話世界をあやうい虚構性と役者の実在性によって成り立たせた最後のフィルムノワールであるとすれば、この『裏切りの闇で眠れ』は、この世界の現実を露骨なまでに反映した暗黒映画の新しい出発を告示する映画なのである。






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