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評者◆大矢靖之(紀伊國屋書店新宿本店)
何より全く、社会学の本だ
断片的なものの社会学
岸政彦
No.3215 ・ 2015年07月18日




■『断片的なものの社会学』(以後、『断片』と略す)は、分析も解釈もできない、ありきたりな、たわいもないような事柄について語られ続ける本だ。全裸のおじさんとの出会い、女性の背後をつける若者など、人々の小さなエピソードが魅惑的に語られていく(街を生きる「普通の人々」へのインタビュー集となる前著『街の人生』と相補的な著作といえる)。『断片』を読む人は、エッセイとも、ノンフィクションともいえないような独特の趣に魅せられることだろう。評者は、『断片』に魅せられた人々が語らされてしまう感想や評に、強く頷き、相槌を打ち続ける。しかし、一言そっと、付け加えてしまいたくなる。「この書は魅力的なエッセイでありながらも、何より全く、社会学の本だ」と。
 社会学といえば、次のようなイメージを持つ人もいるだろう。「日常性を問い直す」「自明性を疑う」等々。一見して、魅惑的に思える。そして実際、社会学はそのようなイメージでもって一般に流通されてきた側面もある。だが、社会学の営みやアプローチは、断じてそのようなものだけではありえない。『断片』は魅惑的なイメージを迂回し、別の仕方で編まれている。「社会」をそれとして示そうと試みること。きわめてありきたりで自明で日常的な事象を、肯定し、語り続けること。社会……ありとあらゆる要素、断片によって、危うくも確かに構成され、成り立つもの。不安定と安定をはらみ、両義的な価値を含み、秩序と混沌を抱えるようなもの……。『断片』とは、そんな社会において分析も解釈もできない事象に対しての、ためらいも戸惑いも隠すことなき誠実な、しかし積極的なアプローチではないだろうか。
 さらに言えば、『断片』は、社会学がこれまで対象としてきた多くのテーマの傍らをゆるやかに通りすぎてゆく。マイノリティへの差別や暴力、格差や階層、性労働者、ホームレス、等々。それぞれを主題的に論じるわけではない。だが、著者は印象付けられるようなエピソードにふれていきながら、読み手をテーマへと近づける。例えば、祝福されるべき結婚式で「元気な赤ちゃんを」という来賓の挨拶に潜む規範的ないし抑圧的暴力。似非医学や非医療的行為に「本人が望むなら」という論理に基づく支配の構造を指摘しつつ、当事者本人の意思が最大限尊重されるべき、という意見。それらに対し、著者は「声が出なくなる」(p.114,p.205)。ここでは、押しつけがましさなしに、エッセイ的な仕方で、社会学的テーマとその問題の所在が示されている。だからこそ、著者の語りかけを粛然と受け止めるなら、従前の社会学のイメージとは別の仕方で、私達は社会学と呼ばれる学の入り口に導かれることになるのではないか。
 かつて評者は野矢茂樹氏の『哲学の謎』(講談社現代新書)を読んで哲学研究へと誘われた。だが、もし当時この本を先に読んでいたとしたら、社会学研究に取り組んでいたことだろう。『断片』は、人の社会学的関心を誘い、強化する書であると信じる。もしあなたが『断片』を読んで何か揺さぶられる箇所があったとしたら、きっとその箇所はあなたにとっての社会学的出発点となりうる問題が含まれた箇所ではなかろうか。
 余談を記したい。私が著者を知ったのは2004年頃。著者が運営する「sociologbook」というブログ/サイトであった。大学院で哲学を研究していた最中、現実逃避とともにこのブログを読むのに熱中していた(その時の過去ログの多くはもう公開されていない)。飼い猫の画像に癒されながらも、時折更新されるたわいない日記の雑談や、鋭い論評に魅せられた――常に文章の背後で社会学者としての視点が目を光らせていたがゆえに、惹かれていたように思う。このブログの一読者にとって、『断片』は自明で日常的な日々のもと、生まれるべくして生まれた一冊とさえ思われたのだった。






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