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評者◆三上治
未知の革命形態へ触手をのばす――それぞれの苦しみと格闘
No.3146 ・ 2014年02月15日




(九)「今、吉本隆明25時」のこと

(1)「幻想」の理解の難しさ

 吉本も中上も文学を基盤として活動していたのだから当然だが、彼らが執着していたのは幻想ということだったように思う。幻想としての人間の存在を追い、それを生涯にわたって考え抜いたのだと思う。彼らが遺した膨大な作品は、彼らが紡ぎだした幻想にほかならない。幻想とは幻影でも想像力でもない。それらを含む人間の精神的(心的)な表出であり表現なのだ。僕は今ならそれを率直に理解できる。彼らの近くにあった時も離れて見ている時も、彼らの所業が理解しにくいところがあったとすれば、やはり幻想という言葉、あるいは概念を理解する上での障害をこちらが有していたからである。
 哲学的には世紀にわたる唯物論的な思考、ロシア革命の権威を背景とする世界認識の方法が時代の精神として大きな力を持っていたことがある。これらは二十世紀の宗教(宗派)であったに過ぎないが、科学という装い(衣装)をつけていただけ厄介だった。唯物論も観念論もありえない。その論が取り出そうとした対象が存在するだけである。人間は唯物論的でもあれば観念論的でもある。そういう名目で対象化しようとしてきた存在域を持つだけである。今なら簡単に言うことができるが、随分と時間を要したのである。
 1968年に公刊された『共同幻想論』をとりあげるまでもなく、共同幻想という言葉が登場した時の驚きと反発、それにもかかわらず理解がされなかった由縁は、幻想という言葉の理解が読み手の中になく、それを阻害する唯物論的思考に読者が無意識も含めて浸されていたからだ。吉本は幻想という概念でヘーゲルの意志論も含め初期のマルクスが遺した世界を引き継ごうとした。この着眼は鋭く、唯物論で定式化された世界認識の方法、とりわけそこから導かれた上部構造領域の思想的な抽出の新たな道を切り拓いた。これは『言語にとって美とは何か』の表出論(言語論)や『世界認識の方法』等として遺されている。これらの膨大な著作や論究は、『共同幻想論』も含めて僕ら自身の幻想概念の理解が深まれば内容の理解も進むものとして存在している。この難解さはこちら側の概念に多くは起因しているのである。例えば、『共同幻想論』と同じころに出された三島由紀夫の『文化防衛論』だって、彼の使っている文化概念を幻想概念と重ねて読めば分かりやすい。これを難解にしているのはこちらの概念が作用しているところが少なからずあるのだ。
 中上の路地を場とする作品は秋幸三部作の最後である『地の果て 至上の時』で到達点というべきところにあった。中上のこれ以降の作品の難しさを暗示していた。路地を場として幻想を紡ぐことが困難になっていたのだ。それは誰よりも中上自身の知っていたところだった。80年代半ばである。この時代において彼らは幻想(上部構造的世界)の基盤の変容に直面し、これまでの自己のイメージしていた世界からの脱却を余儀なくされていた。

(2)革命を意味する時の課題

 吉本がよく使っていた言葉に「25時間目」というのがあった。これは僕が共産主義者同盟叛旗派にいるときも、また辞める過程でも論議になったものだが、ほとんどその意味を分かっていなかった。「25時間目」とは幻想という時間を意識し自覚することだ。そして幻想的世界を作り出す時間である。「25時間目」はある意味では喩であるが、この言葉に吉本は自分の実存の仕方そのものを込めていたし、かつて「この執着はなぜ」と自問したことへの答えでもあった。日常性から超出するこの「25時間目」の世界は24時間の世界との裂け目を生むものだった。この裂け目をどうするかが、「25時間目」が革命を意味する時の課題だった。別の言い方をすれば、生活と幻想を紡ぐことの矛盾の解決(対応)だった。中上が作家を職業とすることへの疑念を抱えて格闘していたことでもあった。
 「職業文学者に、文学は一体、可能なのか。実存主義の問いを逆手に取って言うならば、そういう種類、次元の自己否定、としての問いかけを、それから私は、何度も中上と話すことになった」(辻章、『時の肖像 小説・中上健次』)
 職業革命家に「革命は可能か」と問いかけるのと同じようなことである。僕は別段、職業革命家をめざしたこともそうであったこともない。ただある時期、職業革命家的な生活を生きざるをえなかった。そういう時期にこういう問いかけを自らに向けて発せざるを得なかったし、最も苦しい問いだった。生活者と運動家として自分の裂け目に苦しんでいた時期でもある。幻想の世界を意識的、自覚的に生き、それを紡ぎ続ける上で生活者としての日常(24時間の世界)の関係をどうするかは絶えず自問を呼び起こすものだった。この裂け目のところで60年代や70年代でも吉本は苦しんだのであろうが、80年代でもそれは続いたのである。「25時間目」の世界を紡ぎ続ければそれだけで革命者であるというのが吉本の考えであるが、抽象的な理念としてあっただけなのではない。こういう幻想論は実践的な現れもする。例えばこの時期、反スターリン主義者にしてまた最後のスターリン主義者であった埴谷雄高との論争でも見られるものだ。
 「レーニンは総体的に言って。『国家』とか『権力』とか『法とか』のような共同の幻想に属するものの理解が苦手だったように思われます。そういうよりも正確には、『国家』とか『権力』とか『法とか』の共同の幻想がどんな実体と具体的な現実機関と、表裏となって存在するのかを究めるのが苦手だったし、それを無視したと言っていいでしよう」(吉本隆明、『重層的な非決定へ』政治なんてものはない)
 これは埴谷のようにボリシェビキ理念や政治体験の欠陥をとりあげても、先進資本主義国の「現在」では無意味であり、まったく未知の革命形態を体験するのだとしながらも、見るべきものは見ているということである。共同の幻想への考察と認識の欠陥がロシア革命の結末に結果したことを、埴谷への批判と重ねてやっている。『「反核」異論』などの展開の中で、吉本は潜在的には意識しない形で体験しつつあるかもしれない、未知の革命形態へ触手をのばそうとしていた。そこがメインの課題だった。この未知にどこまで触手が届くのかを展開したのが『言葉からの触手』である。この小さな本は80年代の吉本の最高の作品というべきだと思うが、こうした中で出てきたのが、「今、吉本隆明25時」という催しだった。
(評論家)
(つづく)







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