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評者◆内堀弘
的場書房のこと――たった二年間の活動ながら、戦後詩歌出版の出発点の一角を担った
No.3033 ・ 2011年10月08日




某月某日。私は小さな出版社が好きで(特にいつのまにか消えてしまったようなのが)、そんなことお客さんに話したら、詩集『桜色の歌』(2004年)をいただいた。著者の北川幸比古は、昭和三十年代に的場書房という小さな(たった一人の)出版社をやっていたことがある。
 私が古本屋をはじめた頃だから、もう三十年も昔のことだ。渋谷の中村書店に行くといつだって寺山修司の『はだしの恋唄』(昭32)が四冊も五冊も並んでいて驚いたものだ。寺山が学生時代に出した作品集で、その頃でも伝説的な書物だった。この版元が的場書房だった。的場書房からは寺山の第一歌集の『空には本』(昭33)も出ていて、これは当時でも目にすることはほとんどなかった。
 神保町の裏通りの一室に、伊達得夫の書肆ユリイカと森谷均の昭森社が同居していたのは有名だが、この部屋にはもう一つ机があって、それが的場書房だった。戦後詩歌の出版はこの三つの机からはじまったのだ。三人の中で北川は若い。谷川俊太郎とは高校の同級生で、寺山との関係もそこからだった。みな二十代だ。
 二十年ほど前、『彷書月刊』で寺山修司の特集を編んだことがある。私もスタッフだったので、そのとき北川幸比古に書いてもらえないかと消息を探った。しばらくして、それは児童文学者の北川のことではないかと教えられた。
 詩集『桜色の歌』には北川の略年譜が載っていて、これを見ると的場書房の活動は昭和三十年代のたった二年間だけだ。その後は児童文学者として着実な地歩を築いている。いや、児童文学者が若い頃に少しだけ出版社をやっていたのだ。
 『彷書月刊』で北川は、「寺山ほど率直に収入と名声を欲しがってみせた人」はいなかったが「厭な感じではなかった」と回想する。そして『はだしの恋唄』も『空には本』も売れなくて、まったく採算が取れなかったと書いた。
 年譜で計算すると、『彷書月刊』に書いた頃北川は五七歳。的場書房は三十年前の思い出だったことになる。私が中村書店で『はだしの恋唄』を見ていたのも三十年前だ。やはり、ついこの前のことのように思ったのだろうか。
(古書店主)







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