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評者◆太田代志朗
悲哀と解体のパトロジー(2)――はたして文学とは何か。文学とは人生に必要なものか。いや、人生にとって文学とは必要なものだろうか。没後四〇年、根源的な闇をかかえた高橋和巳の内なる荒野が改めてひろがってくる
No.3026 ・ 2011年08月13日




 (承前)その文章は漢文脈の系統を引くもので、一部生理的悪寒さえするリズムの感に当惑するのだが、何か抗しがたい魅力を備えている。事物と想像力の深く本質的なかかわりのなかで読みすすめば、しだいに灼きつくすような情念の回路に引き込まれていくのである。そして下降、荒廃、滅亡のコンテクストのなかで、わけても高橋文学は現実世界の感触とともにすべての主題がいかに生きるかという苛烈な一点にしぼられていることがよくわかる。そこには限りない夢と志が熱く問いかけられ、倫理的にきびしくかたられているのである。六〇~七〇年代高度経済成長時代の選ばれたはざまのなかで、その読者といえばまぎれもなく「真剣に自分の青春の生き方と重ねて読んでいた青年学生」が大半だった。運命的な共犯のパトスが、その時代の根源構造としてあったというべきかもしれない。左翼理論なんて何かと鼻にかける、一部泥臭い実存主義かぶれの高踏ロマン派を自称するものでさえ、その「新時代の人間存在の根源」に魅かれて危機とスキャンダラスな思索の手がかりにしていったのだ。
 当初、戦後文学の旗手として一躍脚光を浴びた高橋和巳はこのうえない凛々しさにあふれていた。激動の七〇年代をひかえ、その作家生活も好調に新作をつぎつぎに発表して居を大阪・京都から鎌倉に構える。だが、恩師の三顧の礼で迎えられた京都大学助教授赴任とともに、ここで文学創造としての行為の歯車が大きく変わることになる。京都の仮住まいから大学にかよい、広い研究室に陣取り講義も忠実にこなしていった。その文学主張も分析も説得力も鮮烈だった。若くして作品集の編集にとりかかり、同人雑誌『対話』についても、われわれ新たな若手をまきこんで読書会や研究会など精力的に参加していた。だが、やがて全国的にひろがる全共闘運動に加担していくことにより、それがみずからの誠実な文学的行為であったにせよ、しだいに体力的限界に達していったのだ。だが一方の若者たちは闘いの挑発的な遊戯性をこそもて、それほど真剣にかまうものでもなかったのだろう。路上に火炎瓶が炸裂し、当の倫理的潔癖をつらぬく高橋和巳はしだいに大学や教授会から離脱せざるをえないという状況下において、なお"孤立の憂愁を甘受"していく。一連の学園紛争を意識改革運動としての「義」の問題として痛切にとらえたのだろうが、これも今となってみれば甚だ滑稽なことというしかあるまい。いずれにしても、美しき凌辱、悲哀と号泣に深酒がすすむ。眠りの安らぎもなくむしばまれていった肉体の悲鳴。たびたびおこる腹痛とともに、「解体」を余儀なくされる深夜の慟哭がいじらしくもある。
 そうした運動の渦中において、祇園のお座敷で盃を重ねて荒れ狂う夜を一緒に過ごし、また先斗町の居酒屋で高倉健の「唐獅子牡丹」を真似て「姓は高橋、名は和巳、その名も網走番外地」と御詠歌のようにうたうのをきかされ、教授会をボイコットされたと沈鬱にいう鎌倉の夕べのひとときなど、高橋和巳のかかえたいわくいいがたい苦悩を、今にして宿命の主調低音として痛々しく思いおこす。思いおこしては、いまなお私は不覚の涙をこぼしている。所詮おためごかしの「政治」や「闘争」などどうでもよかったのだ。その内面的な破壊の衝動や自己処罰の地獄篇からの遥かな再生の光のなかでこそ、文学はさらにその先へすすまなければならないのでなかったか。
 それにしても、悲哀の断崖で息を吐く。その墓碑銘に思いをすする。いったい文学とはどのような営為によってなされるべきものなのか。荒涼たる心を埋めるべくもない彷徨。いったい何を引き出し何を裂き切っていけばいいというのか。震災後の社会がこれまでの体制をかえりみて、あらたな局面を切り拓こうとしているとはいえ、混迷する現状において、「言葉」は淡白に薄らぎ、空虚にとまどいつづける。電子書籍やケータイ小説に沸く出版ジャーナリズムの動向はともあれ、そくそくとしたのっぺらぼうな風景に、「文学」がますます遠ざかっていく。明るく空々しい光の乱舞。「風よ、私は美しく病んでいる」とは誰もいわない。立ちすくむこともなければ、静かに立ち止まることもない。その場限りの安直な言葉の断片がむなしく連なってゆく。言語と行為が胸の奥でなぐりあっていた時代。一回性の自分に真摯に向き合っていた時代というのは、いったいどこへいってしまったのだろう。
 『憂鬱なる党派』において、かつて原爆を投下された死都に生き残り、恐怖とともにあてなくさまよいつづけた主人公・西村恒一は訪ねてきた友にいう。「君がこだわる核分裂も、人類が、神の審判、カイロスに先んじてみずからの手に全き破滅を招きうる武器をにぎったというだけの意味しか持たないのじゃない。なぜか……」。
 人類の叡智を絞った科学文明の先端をいく原子エネルギーもその安全神話が崩壊し、現今の日本列島は終戦直後と同じような未曾有の状況を余儀なくされている。未だ終息のみえない福島原発事故を前に、青あらしとともに放射能に汚染されたこの山河に生きぬく覚悟をしておこうとひそかにおもう。共有すべき共同体が、風の歌ごえの中に混沌としている。
 君が常に夢想することを好んだあの海の白波――遠く地平線のつづく限り、一斉に波頭をもたげ、砕けては進み、沈んでは浮かび、倒れては起きあがりつつ、ひたすら押し寄せる波とは何であるか……。悲哀と解体のパトロジーこそ、いってみれば高橋和巳の抒情と闘争の序章のかがやかしい聖痕であったことを知るがいい。
 「文学だけが問うことのできる総体としての人間性」の問題であるべく"暗黒への出発"が最後の告認であった。はたして文学とは何か。文学とは人生に必要なものか。いや、人生にとって文学とは必要なものだろうか。没後四〇年、根源的な闇をかかえた高橋和巳の内なる荒野が改めてひろがってくる。
(作家・歌人)







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