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評者◆別役実
新大久保 (上)
No.3026 ・ 2011年08月13日




 単に大久保と言った方がいいのかもしれない。現にその名の駅が中央・総武線にある。そして大阪と新大阪と言った場合、大阪の方が古いように、大久保の方が古そうである。ただ山手線の新大久保の方が利用客が多いせいだろうか、このあたりのことを言う時、「今日新大久保でね」と、たいていはこちらの名を使う。
 いずれにせよこの街は、山手線の新大久保駅と、中央・総武線の大久保駅との間に、横たわっている。とは言っても、そこにそのような街があることを気付かされることになったのは、かなりこっちへ来てからのことだ。
 山手線の新大久保駅は、高田馬場と新宿の間にあり、その双方の駅は私もよく乗り降りしたが、間の新大久保にはほとんど降りたことがなかった。中央・総武線の大久保駅も、こちらは中野と新宿の間にあり、その双方を利用して間に降りることは少なく、つまりその場所は、私にとって、もしかしたらその他多くの人々にとって、空洞となっていたのである。
 私の友人が「烏書房」という出版社を作り、私も『虫づくし』という、虫についてのデタラメを書いた本を出してもらったことがあるのだが、その彼が書庫代りに、「新大久保にアパートを借りたよ」と言ったことがあった。「へえ、どこだい」と聞いて、確か高田馬場の職安からの帰り、そのあたりを歩いてみたことがある。結局見つけることは出来なかったのだが、学生が下宿をするような木造の二階屋がいくつも並び、さびれた住宅地という印象を受けた。つまり、貧乏出版社が書庫とするにふさわしい場所だったのだ。
 いつ、何のきっかけでそこが変ったのか、私は知らない。いつか、新宿で仕事をして、散歩がてら新大久保の方へぶらぶら歩いたことがあるのだが、突然人ごみの中に入りこまされ、「これは何だい」と思ったら、それが新大久保の駅から続く街だった、というわけだ。
 今や韓国人の街として知られているが、街並みそのものはさして変っていないのに、看板にハングル文字が増えたり、すれ違う人の服装や顔つきが変ったり、交される言葉が耳慣れないものだったり、何よりもにぎわう場所になったという点が、ここの特徴と言っていいだろう。
 「なめくじに適量のヨウモトニックをふりかけると、ほぼ一ヶ月で毛がはえてくる。これがけなめくじである」というような、トンデモナイ事を書いたのが、前述した私の『虫づくし』という本だが、そのころにはもう「烏書房」もなくなり、従って新大久保の書庫もなくなっているにもかかわらず、この街の何とも言えない猥雑な通りを歩いていると、そこからこの発想が生れたような気がしないでもない。
 そうなのだ。かつては足を踏み入れることをしなかったこの「都心の空洞」に、街が変って以来、私はよく行くようになったのである。ひとつには新宿でひと仕事をして(喫茶店で原稿を書いたり、人に会ったりするのだ)、次の仕事をするためにちょっと歩くべく、ちょうどいい距離にあるということがある。
 もうひとつは、私に仕事をさせてくれる喫茶店が次第に少なくなり、都内を探しまわらなくてはいけなくなったのだが、そのいい店がこの街に、二軒あるのである。しかも、一軒は新大久保の駅の近くに、もう一軒は大久保の駅の近くに、と都合よく並んでおり、「こっちでちょっと書いて、むこうでまたちょっと」と、ハシゴ書きが出来る。もちろん途中にパチンコ屋もあるから、「こっちでちょっと」とは別の原稿を書かなければいけない時は、パチンコ屋に入って、頭の中を消毒することも出来る。
 私の場合、「頭の切り換えが下手」というのであろう、ひとつの考えを打ち切って他の考えに移行する場合、かなり強力な異物をそこにさしはさまないといけない、ということがある。少し時間がある場合は、推理小説などを読むのだが、短時間でそれをやらなければならない時は、パチンコがいい。恐らく、あの金属的な騒音がいいのだろう。二、三十分あの中にいると、一時期ロボットになったような気分になる。
 まずいのは、時々当ってしまうことであろうか。最近のパチンコは電動式であるから、技術によらず、下手でも当ってしまうことがある。そして、当りはじめると、とめどがなくなるのである。そうなって二時間、三時間とそこに縛られると、次の仕事はあきらめなければならない。
 そんなこともなく、新大久保から大久保へ、もしくは大久保から新大久保へ、ぶらぶらと歩いてゆくと、そんな時にいちばん街のありようというものが感じとられるのであるが、それがなかなかいい。「好きな街」と言うのではない。「親しみやすい街」と言うのでもない。敢えて言えば、「普通にしてられる街」とでも言うのだろうか。
 歩いているのが、韓国人や中国人らしいものが多い、というのもいい。それが、日本人かもしれない、と思わせてくれるのもいい。これが欧米人だと、ちょっと違う。
 そしてまた、街全体がほどよく貧しい、というのもいい。これ以上汚なかったり、ゴミゴミしていたりすると、やはりこのように普通には歩けない。ハングルの看板を出した韓国系の店がある点も、韓国街を造るほどではなく、かと言ってそのあたりの日本の街とはちょっと違う、というところもいいのだ。
 つまり、ほとんど何にも気にせず「素通り」してしまう街でもなく、同時に、立ち止ってじっくりと体験しなくてはならない街でもないというところだろう。私がいつの間にか、この街に足しげく通うようになったのは、そのせいに違いない。
(劇作家)
――つづく







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