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評者◆内藤千珠子
抵抗が無効化された世界で――近代の延長に現れた呪縛を目に見える形で意識し、更新するための論理を準備している「タダイマトビラ」(村田沙耶香、『新潮』)
No.3026 ・ 2011年08月13日




 壊れてしまった形式に、私たちは知らず知らずのうちに縛られている。すでに実効を欠いているのに、拘束力だけは保存した形式の残骸が、現代を蝕む。近代を理解するために提出されてきたキーワードや図式によって分析すると、リアリティがするりと抜け落ちてしまう。それどころか逆に、現況を理解できたという錯覚が、壊れてしまった形式を延命させる。近代をめぐる図式がかろうじてあてはまってしまうだけに厄介なこうした状況に対して、小説の言葉は自覚的に反応しているように思われる。
 家族というタームの周辺に、壊れた形式の呪縛力を現前化させるのが、村田沙耶香「タダイマトビラ」(新潮)である。この長篇のなかから、家族、結婚、恋愛、性、女性の自立といったモチーフ、あるいは母と娘の関係、女性による女性嫌悪、母性神話といったテーマを拾うことは可能だが、読みどころがそうした主題にそって図式化される物語とは異なる位相にあることに留意したい。小説には「家族」という形式を生きることに「失敗」した女性、すなわち、子どもを愛する母という役割を放棄した女性が設定され、主人公として物語を語る恵奈はその娘である。恵奈は、家族愛を未だ体験したことのない子どもとして、世界を語り始める。彼女はすでに、現実の母に対して愛情を求めることは断念しており、母の愛を渇望する弟を馬鹿にしてさえいる。しかしながら、家族や家族愛といった形式を完全に退けているのではない。自分のなかに「家族欲」があることを意識し、その欲望を処理するために「カゾクヨナニー」と彼女の呼ぶ行為に耽るのだ。「事実はどうあれ、普通の家族に包まれて、子供が育つのに必要な愛情が与えられている、というふうに脳を騙すことができれば、実際の親の愛情は必要ない」。「脳さえ騙せば問題ない」。恵奈は自室のカーテンに「ニナオ」と名前をつけ、ニナオと戯れ、無条件の愛撫を与えられているという妄想にくるまれることで、ようやく自分を保っているというわけだ。
 「本当の恋」をして結婚すれば、「本当の家族」を獲得できるという信念のもと、高校生へと成長した彼女はそれを実行しようとして、現実の恋愛さえもカゾクヨナニーの域を越えるものではないと知る。その果てで、世界の規則や言語的法則が破壊された世界が小説の末尾を覆う。家族、恋愛、結婚といった記号が織りなす形式も、形式に付随する役割も、壊れてしまってそれをたどることは不可能だ。にもかかわらず、残骸と成り果てた形式は、近代的空間のなかで上演されてきたのとは別の機能を帯び、息苦しい世界を作る。壊れた形式は、決して到達することのできない不在の「本当」や、実効を伴わない「本物」のイメージを表象し続ける。抵抗しようとしても、宛先にあるその形式は壊れているから、もはや抵抗という行為の力も奪われている。だから主人公にとって、母や家族に抵抗する意味は極めて薄い。抵抗が無効化された世界が、そこにはある。本作が象徴的に可視化してみせた語り手の視界はまちがいなく、近代の延長に現れた呪縛を目に見える形で意識し、更新するための論理を準備しているといえるだろう。
 こうした論理を振り向けてみるなら、作品の風合いには距離があるが、全身がガラクタで出来た公爵に支配された領地を舞台とした間宮緑「塔の中の女」(群像)のなかにも、形式や役割を別次元に運ぼうとする力学が確認できよう。この長篇においては、公爵が「発明」した「役割」とそれへの反発が一つのモチーフとなっている。役割は「規格化された個性」に通じている。「僕たちは自由に《役割》を選び、引き受けることで、義務を学ばなければならなかった」。「偽詩人」として物語を書くことになる語り手は、「《おはなし》の本」にすでに書かれてある物語と共鳴し、葛藤しながら、物語に反逆しつつそれを更新する軌跡を紡いでいるように見える。あるいは、広小路尚祈「まちなか」(文學界)では、社員として、夫として、父親としての「役割」を脱した「プライベートな時間」を、社長のかつての愛人と共有しようとした語り手が、逸脱する一瞬を生きようとしつつ、役割の拘束力のなかに立ち戻る。小説の言語が投げかけるのは、容易にその力を手放そうとはしない物語の形式への問いである。 
 他方で、今号に前編のみ掲載された鹿島田真希「来たれ、野球部」(群像)には、世の中の「普通の人間」という標準形を軽快にはみだした登場人物が描かれている。自由という歪みを与えられた登場人物が、恋愛という感情の形式に囚われたとき、小説の言葉は、どのように現代を奏でるのだろうか。壊れてしまった形式について、また一つ別の角度から思考する必要がありそうだ。
(文芸批評)






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