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評者◆内藤千珠子
視線の暴力を組み換えるために――女性の身体、病う身体をめぐる境界線を挑発的に描き直す「癌だましい」(山内令南、『文學界』)
No.3018 ・ 2011年06月18日




 恋愛というシステムが自分にとっての「ほんもの」を阻碍してしまう。小林里々子「ほんもの」(文學界)は、恋愛という近代的な物語装置を批判した印象的なエッセイである。人は形式に守られて生きている。だが形式やシステムに従って生きることは、唯一の感情を、恋愛という類型に横領された交換可能なものに貶めてしまうことに通じるのではないか。とはいえ、苛立ちに満ちた疑念や恋愛に対する嫌悪は、恋愛というルールを受け入れて生きる人たちから「気持ち悪い」とみなされずにはいない。そう見渡した上で、この小説家は「私はそろそろ、覚悟を決めて気持ち悪く生きていくべきだ」と宣言する。このテクストが展開する論理はそのまま、小説という磁場に変換可能であろう。形式に依存してわかりやすい物語を書けば、定型が保護してくれる安定を手に入れることができる。しかしながら、そのように書かれた物語は、小説の言葉を殺す。だとすれば、類型や定型がもつ暴力を厭悪する知的感性こそ、小説の言葉を支える力にほかなるまい。
 ところで、近代文学の成立過程で、恋愛は異性愛を前提とする物語をとおして、女性とするもの、女性がするもの、といったイメージの傾きを与えられ、女性ジェンダー化されてきた。現在でも、女性登場人物は、恋愛の対象としてどのように魅力的かという視点から造型されやすい。ならば、山内令南「癌だましい」(文學界)の女性主人公は、女性らしい女性という定型を追放しながら設定された記号と読むことができるだろう。食道癌に冒され、死に瀕した中年女性の現在が、過去に遡って叙述されていくなかで、「食べたい」という欲望のみに支えられた彼女の生が浮き彫りにされていく。八十四キロの巨体で彼女が他者を拒絶するように生活してきたのは、食べることが絶対的な中心だからである。したがって、この主人公には他者と触れあうことの欲求も、恋愛をめぐる欲望も欠如しており、温かみのある記憶といえば、食べ物を作り与えてくれた祖母の愛情だけなのだった。自分を「職場の癌」と呼ぶ周囲の目線など、食べることの価値には遠く及ばない。たとえ食道癌と診断されても、治療は受けず、ひたすら食べ続けようとする。他者の視線にも、医療にも、自分をあずけることはない。消化する回路を失ってなお咀嚼し続ける身体行為は、女性の身体、病う身体をめぐる境界線を挑発的に描き直していく。主人公は食べる快楽を至上とする自らの価値を、他者の論理に優先させる。他者から否定的なまなざしを受けたとしても、異なる回路で自己を肯定することは、可能なのだ。女性像のステレオタイプを侵犯し、境界線をゆるがす小説の文法は、身体と視線の関係を鮮やかに作りかえる。
 一方、中納直子「美しい私の顔」(群像)の主人公は、問題含みではあれ、仕事にも恋愛にもそれなりに恵まれた環境にある若い女性である。その彼女が顔面神経麻痺で「かわいい」顔を失ってしまうという物語設定は、女性と病というテーマから出発して、身体と視線の関係を抉り出していく。外見を整え、笑顔や愛嬌で人間関係を切り抜けることの意味が、演じることのできなくなった女の顔によって露わになる。かわいい妹よりむしろ、不細工な自分が代わりだったらよかった、と心配する姉に対して「かわいいんちゃうよ。一生懸命かわいく見えるようにしとったんやん」と憤る主人公のセリフは、彼女が女性らしい女性、女性ジェンダー化された定型を演じ続けてきたことの自覚に通じているだろう。「こんな顔にならなければ、きっと、嘘の化粧を塗りたくった自分を本物だと信じて心の穴を抱えたまま生きていったんだろう」。女性像のステレオタイプから疎外された主人公が、そのことによって自分を取り巻いていた世界の力関係について学ぶという構図の延長で、テクストは「美しい私の顔」に、一般的な表象の枠を壊す効果を課している。変質するこの私の顔を、境界線上でみつめること。テクストは「私の顔」を、他者の視線を集めた場所から解き放って置き直し、私だけの見る視界のなかに映しだす。
 恋愛の物語装置を異化する風景には、複数の現代的意味がせめぎあう。米田夕歌里「群魚のすみか」(すばる)を読むと、居場所がないことの恐怖は、恋愛の至福を獲得できるかどうかをはるかに凌ぐようだ。輪の中に溶け込むことの苦手な個人にとって、恋愛よりむしろ、自分の居場所を見つけることの方が先決で、そうした問題設定が、物語が恋愛によって見慣れた光景になることをわずかに避けている。この作品の最終場面にもやはり、「無数の視線を意識」して笑顔を作る女性一人称の現在が示される。視線の暴力を組み換えるために、類型は何度でも踏み破られなければならない。
(文芸批評)







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