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評者◆神山睦美
ドストエフスキーの語る戦争の不可避性を理解しえなかった小林秀雄と北一輝
No.2961 ・ 2010年04月10日




 このような橋川の論には、政治的な力に対する批判は宗教批判からはじまるというルソーからマルクスにいたる思考が影を落としていることはまちがいありません。しかし、ここにのみ政治的なものの本質をおいてしまうと、ドストエフスキーのなかに見出したロシアの民衆の生活への宗教的な畏敬といったものがなみされるおそれがあります。イエスとは悪魔の力に対抗して、精神の王国を築いた者というよりも、みずからは悪魔の誘惑をしりぞけながらも、サタンの甘言にのせられてしまう民衆のやりきれなさを、あくまでも一人の人間の特殊な不幸として受け取らずにいられない者ということができるからです。そういう民衆の一人一人に対して、畏敬の念を向けずにいられなかったのがドストエフスキーであり、そこから民衆の宗教的な熱狂に根ざした独特の民族主義があらわれたということができます。
 問題は、このような民衆の一人一人に対する畏敬の念が、兄弟愛・同胞愛とどのように繋がり、さらには全人類の兄弟団結のためには、ロシア人の心がもっとも適しているという言説とどう繋がるのかというところにあります。ロシアの魂と全世界的な、全人類的な兄弟団結を成就するためには、戦争もやむをえない、戦争というのは、最小の損害で平和を獲得するための行動であるから、無期限に苦しむより、いっそ剣を抜いてしまった方がいいという言葉を、どう回収したらいいかというところに最大の問題があるといってもいいでしょう。
 『ドストエフスキイの生活』の小林秀雄は、それまでくりかえし論じてきたドストエフスキーの思想の重要性について語ることを、この兄弟団結というところで控え、ここには奇妙な矛盾があると指摘しています。たしかに、このドストエフスキーのある種ファナティックな民族主義にくらべるならば、戦争を国民一人一人が負わなければならない運命的な事態と受け取る小林の戦争観には、エゴイズムの塊である愛国心を浄化する愛国の義の裏付けがあるように見えます。少なくとも、橋川は小林の戦争観をそう受け取って、愛国心にまとわりつくエゴイズムとルサンチマンを、美意識と死への願望によって回収する日本浪漫派と同様のスタンスで対した。小林や保田に対する批判には、どこか自己批判的な趣きが感じられるのはそのためです。
 しかし、ドストエフスキーの戦争観になると、ほとんどさじを投げているというのが実情に近い。それまで、みずからのナショナリズム観の根底においてきたドストエフスキーにおけるロシアの民衆の生活への宗教的な畏敬というものが、ここで最大の試練を受けることになります。ここを乗り切るためには、やはり大審問官に対峙する無言のイエスというのを持ってこなければならない。
 大審問官の口説をうなだれて聞いていたイエスが、最後に九十年の星霜を経たその唇に接吻するという場面を思い起こしてみてください。民衆のエゴイズムの根に、一人の人間の特殊な不幸を読み取らずにいられないイエスは、この不幸から解放されるためには、大審問官の政治をいったんはよしとしたと受け取ることができる。最小の損害で平和を手に入れるためには、戦争もやむをえないという論理は、大審問官の政治的力のもとで言いうることだからです。
 事実、イエスは、「私が来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのである」と語っています。しかし、このような戦争への志向は、悪魔の力に対抗して精神の王国を築くためにあらわれるのではない。ウェーバーのいうように、「あらゆる暴力のなかにひそむ悪魔的な力と結託する」のが政治の本質であり、戦争へと向かう力の根源であるとするならば、そういう力を解体するのが、このイエスの「剣」であるということができます。聖書の言葉では、イエスの「剣」は父や母や子や娘を敵対させるために抜かれるのですが、それは同時に、血と土地に根ざした民族の絆を解いて、全人類的な兄弟団結を実現するためのものでなければならない。
 ドストエフスキーは、ここまで考えたうえで、戦争の不可避性について語ったということができます。「作家の日記」の言葉も「プーシキン講演」の言葉もそう取ってこそ、大審問官のあの場面に繋ぐことができる。もちろん、その大仰な物言いには、バフチンのポリフォニックな語りというのがかかわっているとしないと、とても受け入れることができないところがあります。にもかかわらず、ドストエフスキーには、このことについて確信に近いものがあった。それは、戦争を不可避の宿命とみなした小林にとっても、民族的な優位獲得闘争の極限的形態とみなした北にも、理解の外にあったものといえます。
 本当は、橋川はこの点を抑えることによって、北や小林を批判的に検討するということをおこなわなければならなかった。だが、橋川にはエゴイズムやルサンチマンのあらわれとしての愛国心を、いかに処すべきかというモチーフはあっても、いかにすればこれをのりこえて、兄弟団結に当たる理念をこしらえることができるかという関心がなかった。それは、北のなかに構想された日本改造という理念にわずかにかいまみられるものなのですが、橋川は、どちらかというとそのようなウルトラ・モダニストとしての北よりも、昭和維新の実践者としての北のエートスに魅かれていく面が多かったといえます。小林についても、その故郷を失った文学と美学に愛国心の振幅から自由になりうる契機を見出すことで、批判の矛を収めてしまったということができます。
(文芸批評)
――つづく







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