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評者◆秋竜山
ルビの指輪、の巻
No.2956 ・ 2010年03月06日




 今野真二『振仮名の歴史』(集英社新書、本体七〇〇円)を、読みながら考えた。もちろん、振仮名だ。あえて振仮名をつけなければならないという、これは悲劇か。それとも喜劇か。自分の名前、自分の名前をうまれた時、自分でつける、なんて芸当はできるわけがない。気がついた時、自分はこーいう名前であるということがわかる。そして、その名前について、意見を述べるということも、文句をいうこともなく、一生つきあっていかなくてはならないのだ。気にいった名前なら文句もでまい。気にいらなかったら、どーか。文句をいったところではじまらない。名前というものは、そーいう制度になっているからだ。不ゆかいな自分の名前に一生つきあわなければならないほど、名前にしばられることもあるまい。どんどん名前をかえたらいいだろう。しまいには、本当の自分の名前がわからなくなってしまったりするかもしれないけど、ね。かわいそうなのは、自分の名前に振仮名をつけなければならないという名前を背おわされた人だ。誰も、まともに自分の名前をよんでくれない。「これ、なんて読むんですか?」なんて、いわれたりする。そういう自分の名前に、いちいち振仮名をつけている人を見るにつけ、この人は、こーいう運命にあるのだろう……と、同情せざるをえないのである。名前は誰もが正確に読めるのが一番いい。いっそのこと、平仮名ばかりにしたらいいかもしれない。平仮名の名前に漢字で振仮名をつけたりして。
 〈他人には絶対みせないことにしている自分の手書きの日記に振仮名を付ける人がいるだろうか〉(本書より)
 これはハッ!! とさせる文章である。
 〈誰にもみせないことになっている日記の場合、「書き手」はもちろん自分だが、「読み手」も自分であることになる。自分が書いているのだから、読めない箇所=文字はないはずで、他人が読む可能性がないのであれば、他人のために振仮名を付ける必要はないことになる。つまり、自分しか読まない日記には振仮名は付いていないはずだ。今は「自分しか読まない日記」を例にして考えを進めてみたが、鍵となるのは「日記」ではなくて「自分しか読まない」ということの方で、振仮名を付けることは結局、「(自分以外の)読み手」が想定されているということになる。〉(本書より)
 はたして、「自分しか読まない日記」というものはこの世の中に存在するだろうか。と、考えてしまう。自分が生きている間は絶対に人目にふれさせまいと思う。その秘密は守られたとする。が、自分はいつかこの世の中からおさらばしなければならない。その時、今まで毎日つけられてきた日記帳も焼き払うかなにかして、この世の中からおさらばさせなくてはならないだろう。そーは、うまくいかないのが世の常である。日記帳だけが残ってしまった。見るのは誰か。家族のものということになるだろう。「なによ、この文章はメチャクチャじゃないの。それになによこの漢字は、なんて読むのよ」というような日記帳ならしめたものである。もちろん、振仮名をつけるなんてことはことはない。しかし、どーだろうか。正しく自分を知ってもらいたいと思うようになったら、もうどうしようもないだろう。その日記帳の空白は振仮名でうめつくされてしまうだろう。そんなゴチャゴチャした日記を誰が読むものか。







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