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評者◆添田馨
〈詩人〉であり続けることの負荷――シンポジウム「詩のいま、世界のいま」での北川透の講演
No.2956 ・ 2010年03月06日




 〈詩人〉であり続けることは、もしかしたらとてつもない負荷をわが身に課していくことなのかもしれない。改めてそう思う機会があった。二月六日に首都大学東京の現代詩センターが主催したシンポジウム「詩のいま、世界のいま」の冒頭、北川透が講演のなかで、書き手としての自身の身の引き方について言及したのを聞き、その最初の印象がやってきた。北川氏はいったい何を言い出したのだろう、と正直面食らった。その思いは、会場で配られた同センター発行の『詩論へ2』に掲載の北川氏の論考「戦後詩〈他界〉論 鮎川信夫の詩と思想を中心に」を読むことで、また新たな眺望を私の中に呼び込むことになった。そこで北川氏が、「鮎川信夫について、何がしかの論をなす、これが最後になるかも知れない」と書いていたことが、私を震撼させた。その言葉の尋常ならざる意味を、私は瞬時に読み取ることができなかった。「戦争・戦後体験の問題を、今日、どう扱いうるか」という問題意識から本文は書き出されていて、「戦後詩の中に、時代を超えて生きている(ということはここでは近代と現代を一筋に貫いている、ということだが)、普遍的な光線」とは〈他界〉の意識ではないか、と述べられている。そしてまったく作風の異なる鮎川の詩「兵士の歌」と吉岡実の「僧侶」の作品世界が、〈他界〉という次元で実は通底しあうのだという論旨は、息を呑むような迫真性さえ帯びている。だが、北川氏が何故に「これが最後になるかもしれない」と書き出したのかは、結局のところ謎のまま残ったのだった。
 同じところで北川氏は、〈他界〉の観念のことを「死を詩に転化することによって、初めて可能となる生の詩法」だとも言っている。もし詩というものの普遍性が、個々の詩人が自らつかみ取る〈他界〉の内にしか見出せないなら、〈詩人〉とは、とりも直さず自らの死後を生き続ける存在の謂いではないのか。これは言葉の遊びではない。実際そんなことが可能なのは、唯に詩を書き続けることによって、すなわち〈詩人〉以外の何者でもないことによってのみ、なのである。このような存在様態が、書き手に対し、時に重過ぎる負荷を与えないはずがない。だが私は、北川氏が講演の冒頭で述べんとしたことが、そんな負荷を抱えた〈詩人〉から降りるという意味ではないことを、とっさに祈らずにはいられなかったのである。
(詩人・批評家)






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