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評者◆稲賀繁美
「日本印象派の稀なる絵画、センセーショナルな発見」――原田直次郎滞欧初期の大作風景画は、里帰りには値しないのか?
No.2944 ・ 2009年12月05日




 原田直次郎(1863~1899)といえば、森鴎外(1862~1922)の盟友であり、同時期にドイツに留学した、明治洋画の先駆者のひとりとして記憶されている。ミュンヘンでガブリエル・フォン・マックスに師事した原田には、師匠ゆずりの闊達な筆遣いを見せる《靴屋の親爺》(1886)ほかの傑作が知られる。鴎外の「舞姫」ほかの挿絵は原田の手になるものだった。また鴎外の「うたかたの記」の主人公といってもよいユリウス・エクスターは、原田を描いた油彩の肖像画を残していた。この作品が、1980年に再発見された経緯を憶えている読者も、あるいはおありだろうか。当時ミュンヘン大学におられたヴォルフガング・シャモニー先生のお手柄といってよい発見だが、本作品はその後ユーバーゼー・フェルトヴィースの美術館に納まり、多くの日本人観光客を集めている。
 帰国後の《騎龍観音》は、現在から見れば不可思議な和洋折衷だが、当時の洋画家たちは、国粋的反動の風潮に抗して、いかに東洋の画題を西洋の画材で描くかに腐心していた。龍という意匠の流行にも、日清戦争に先立つ時代相を見たい。そこには龍を皇帝の象徴とした清帝国を調伏せんとする、東海の立憲君主制の島国の覇気、あるいは龍をも手なずける観音の功徳を寿ぐ思想が盛られている。本作が護国寺に奉納された経緯からも、画題の由来が推定できよう。
 肺結核のため、わずか36歳で夭折した原田だが、その端正な署名をキャンヴァスの裏側に持つ風景画の大作が、ドイツの素封家の邸宅から昨年発見された。高さ88cm、幅106.5cmといえば、今日知られる原田の遺作のなかでは、最大級の寸法といえる。年記は見えないが、画風からして、1884年に留学してほどなく、ババリアで当時流行の、いささか因習的な画風に親しみ、かつ、いまだフォン・マックスの影響を蒙る以前の作風を呈している。樹木の生い茂る渓流に幅広の瀧が落ち、その背後には木の間から遠景に淡い色の空と、なだらかな山岳が覗く。左手には渓流に沿って細い道が伸びている。そこに籠を腕にさげた民族衣装の女性が、ひとり歩んでいる。いかにも19世紀後半のバイエルンらしい、牧歌的風景画の定型といえるだろう。ドイツ留学初期段階での原田の絵筆のたしかな技量を窺わせるには充分な基準作。だが、裏の署名がなければ、とても極東からやってきたアジアの一介の留学生の手になる作品とは思えない、手馴れたできばえである。
 原田にも留学初期にこのようなアカデミーの教則手本通りの大作があった、という証拠物件としては、まことに興味津々。だが、遺憾ながら原田の独創性が縦横に発揮された作例とは言いがたい。東京藝術大学で購入に向けた打診があったものの、予算の都合からこれは見送りになった、と仄聞する。これ以上待ちきれなくなった遺族は、11月にボンでこの作品を競売に掛けることに決定したという。表題はその謳い文句だが、「印象主義」とは、いかにもお門違い。競りは、25,000ユーロから始まるとの情報だ。落札価格を推定するわけには参らないが、500万円程度の購入費があれば、日本への里帰りも夢ではなかったはず。某損保会社の高層ビル最上階に鎮座する泰西名画の1%弱の出費で買い戻せるのに、その財政的余力もないのが、現今の日本の惨状だ。
 近代日本洋画史に不可欠の傑作、とはいえずとも、ひとりの洋画の先駆者の修業の現場を今に伝えるに足る大作、と評価できる風景画だろう。それが歴史の闇から一瞬、投機市場に姿を現し、また闇に沈んでゆく。その運命に、シャモニーさんは、一抹の悔恨を抱いておられるようだった。現在の所有者の祖父が1885年にミュンヘンで画家より直接購ったもの、とのことである。
(国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授)

*本稿脱稿後、長田謙一「原田直次郎「騎龍観音」における「帝国日本」の寓意」『美術史』167(Vol.LIX,No.1)に接した。本稿を補完するものとして参照を願いたい。







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