書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆神山睦美
十六世紀は理想への情熱と普遍的な統治権力が同時に成立した
〈帝国〉――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性
アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート著 水嶋一憲他訳
No.2896 ・ 2008年11月29日




 しかし、ネグリ&ハートの『帝国』などを読むと、国家権力というのは、強制と抑圧、検閲と搾取をもたらすだけではないという視点がはっきり出ています。それには、近代的な国家をマキャヴェリやホッブズの政治思想によって捉えていこうとする意図があずかっている。とりわけ、当時のイタリアの政治的混乱を背景に、強力な君主と統治権力の必要性を説いたマキャヴェリの『君主論』には、高い評価が与えられています。
 ネグリ&ハートにしても、若桑みどりにしても、根底にあるのは、闘争史観です。「万人の万人に対する闘争」というホッブズの言葉がありますが、人間というのは、野放しにしておくといつ自分が倒されるかわからないという恐怖心から、相手を攻撃してしまう。この状態を克服するためには、統治権力がぜひとも必要になる。ホッブズはここから、社会契約に基づく近代国家の必要性を説きましたが、マキャヴェリの場合は、強力な力を持って政治をおこなう君主の存在を前提としました。日本の十六世紀である戦国時代の政治などは、まさにこの手法によって解かれます。若桑さんにすれば、宣教師たちを迎え、キリスト教を容れることで、天下統一を図った織田信長などは、マキャヴェリ的な君主の資格を最もそなえた人物ということになります。
 信長だけではありません。伊東マンショはじめ、四人の使節を遣わした大友宗麟なども、下克上に象徴される闘争状態を、いかにすれば治めることができるかに心を砕いていた。しかし、信長の抱いていた世界普遍性といった理念を継承する者たちは、その後次々に根絶やしにされていきました。若桑さんの本には、そのようにしてこの世界から追放されていったパードレやキリシタンたちへの鎮魂の思いが込められています。
 ネグリ&ハートにも、世界普遍性の理念は結局のところ市民革命には継承されなかったという思いがあります。私は、『マルチチュード』から『帝国』という順で読んでいったのですが、九・一一以後、最もアクチュアルな思想実践を行っているとされるネグリのなかに、十六世紀のルネッサンスを、人文主義革命――人間の内面に目をむけ、自由や愛の重大さに目覚める革命ととらえる視点があることに驚きました。このような内面革命が、商業資本の発達に伴って勃興してきた自由都市の担い手たちを促し、世界航路発見を機に、帝国のネットワークを生み出していった。ところが、この世界帝国が、近代に至って国民国家へと解体され、その結果、帝国主義とインターナショナリズム、さらには現在のようなグローバリズムが現れたとされます。
 こういう見取り図には、ルネッサンスの人文主義革命、内面革命が、近代にいたると、革命と反革命の二項対立的な構図へと堕し、内面そのものの反動化がもたらされたという考えがこめられています。ネグリ&ハートが、人文主義革命の担い手たちとしてあげているのは、たとえばダンテであり、ミケランジェロであり、トーマス・モアであり、ガリレオ・ガリレイです。そして彼らの精神に脈打っている自由と愛への希求が、共和主義者マキャヴェリをして、統治権力の普遍的な構築へと向かわせた。ここには、ドストエフスキーが、なぜ大審問官の舞台を十六世紀スペイン、セビリアに設定したか、その理由がうかがわれるように思われるのです。
 いってみれば、大審問官のなかにマキャヴェリのすがたを、獄につながれたイエスらしき人物のなかに、トーマス・モアやガリレオ・ガリレイのおもかげをかいま見ることができる。大審問官は、たしかにイエスを批判し、人間というものがどんなに卑小なものかを主張します。そこからすると、マキャヴェリの『君主論』とトーマス・モアの『ユートピア』とは相容れないということになります。しかし、実際にこの二著を読んでみればわかることですが、十六世紀というのは、理想への情熱と普遍的な統治権力が同時に成立した時代だったのです。それを可能にしたのは、人間のなかの恐怖や不安、嫉妬や怨望、不信や憎悪といったものを最小限に抑えて、これを統治していこうという姿勢です。タナトスについての信憑を普遍的なかたちとして受け取っていく。しかし、ルネッサンスの時代になぜそれができ、十七世紀、十八世紀の絶対主義から市民革命の時代に、なぜそれが崩れてきたのか。その秘密もまた、大審問官の劇詩は、明らかにしているのではないかと思います。
(文芸批評)
――つづく






リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 不寛容という不安
(真鍋厚)
2位 呉漢 上巻
(宮城谷昌光)
3位 呉漢 下巻
(宮城谷昌光)
■青森■成田本店様調べ
1位 伝道の法
(大川隆法)
2位 青森はいつも美しい 美景周遊
(和田光弘)
3位 漫画 君たちはどう生きるか
(吉野源三郎)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 川を上れ 海を渡れ 新潟日報140年
(新潟日報事業社)
2位 夫の後始末
(曽野綾子)
3位 良寛と会津八一
(小島正芳)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約