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評者◆稲賀繁美
武道教育の将来のために──競技スポーツからの脱却に教育的価値を探る
No.2875 ・ 2008年06月28日




 中学での武道教育の必修化にむけて、政府は、公立の中学・高校で武道を担当する体育教師の指導力強化に乗り出す、という。2007年11月24日の讀賣新聞の報道によれば、体育の教師に武道未経験者が多い現状を踏まえ、本年度から各都道府県に武道教育の関係者らで構成する「武道振興協議会」を設置するとともに、武道学科を持つ体育系大学や民間の道場に体育教師を派遣して、指導方法を研修させることも検討している。武道の必修化は、11月30日の中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の学習指導要領に関する中間報告に盛り込まれ、早ければ2011年度の実現を想定している。だが渡海文科相の意向で、09年度に前倒しされる可能性もある。とはいえ現状では、武道を経験していない体育教師も多く、指導体制の準備が間に合うかどうか、現場では危惧する声もあがっている、という。
 このような動きに対して、私見をふたつほど述べておきたい。ひとつは、武道と競技スポーツ、あるいは体育との関係をどのように理解するか、という問題にかかわる。近代柔道は、柔術を体操の正課に採り入れるために、嘉納治五郎が明治22年に提唱した柔道体育法に由来する。つまり体操の正課としては危険な技を排除することによって、西欧式の近代教育に合致した変更を加えられた結果が、近代の講道館柔道の出発点だったといえる。ところが嘉納の提唱は、現在の試合柔道へと変質を遂げた。競技による勝敗に拘る規則は、国際柔道連盟の主導により、ポイント制の導入などを験し、審判の公平性が頻繁に問題とされるに至っている。だがそもそも競技スポーツとして勝敗を争うことが自己目的化した段階で、嘉納が理想としていたはずの近代柔道は、すでに見失われていたのではないか。オリンピックの種目として認定され、国際スポーツの仲間入りを果たした代価として、武術あるいは武道の精神は、柔道から脱落する運命にあっただろう。
 いまひとつは、武道というものをいかに異文化に説明するかの説明責任に関わる。戦後武道の海外発展の陰には、GHQによって潰された武徳会系統の関係者が、国外普及に尽くしたという経緯がある。オランダでヘーシンクを育てた道上伯は、人材の国際派遣の大切さを訴えたが、講道館がそれに耳を傾けなかったことに、世界との乖離の原因がある、と松原隆一郎は指摘している。だがそもそも、武とは を止めると書く。兵器や腕力による破壊行為や、勝者を敗者から分かつ闘争に歯止めをかけるのが、武の本来の意味だったはずだ。相手を屈服させ、あるいは規則に則って打ち負かすための体力養成と身体技法の習得とが武道教育の目的だったなら、かかる目標を義務教育に導入することは、武道の定義に抵触する愚行と言わねばなるまい。武の道は、軍神 Marsに由来するmartial artsとは字義からして異質なのだから。
 競技スポーツの価値観を絶対視し、その一環として体育担当教員に武道指導を委ねるという体制からは、目的とされる武道振興は成就しまい。武道を基礎とした徳育の地盤を地球社会に根付かせるためには、体育教育の理念そのものの再定義が不可欠だ。また、武道の国際化にあっては、西欧近代競技スポーツには還元されえない、別次元の価値観に立脚するお稽古事、異文化とのお手合わせにより心身を練成する生涯学習の器として、武道の役割そのものを見直すべき機だろう。

*福岡ユネスコ協会創立60年記念国際文化セミナー「日本の文化と心」(2007年10月12日)における口頭報告に基づく。貴重なコメントを頂戴した鶴見俊輔氏に謝意を申し上げる。







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