書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆小野沢稔彦
連載36 「生の飢餓」を癒すことへの渇望
君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956
クリスティナ・ゴダ
No.2846 ・ 2007年11月17日




 1956年、この国を遠く離れた東欧のハンガリーで(それは一国的なものではなく、ポーランドに始まる民衆革命の一環である)革命が起った。『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』(クリスティナ・ゴダ監督)は、革命50年を期して昨年作られたものである(この国での公開が、その一年後となる本年)。
 忘却のかなたに追いやられたかに見える記憶は、持続的に過去を想起し続ける想像力によって、現在の中に追体験される。そして、過去は単なる過去ではなくなり流動を始め、現在に向って覚醒する。この時、無意識のままに流されていた現在も流動を開始し、今を作る無意識は打破される。教科書記述問題として露出した、沖縄戦をめぐる記憶のあり様の、ヤマトと沖縄との争闘──私たちは九月末の沖縄の立ち上りを、突発のものとしか捉えていない──の中にある決定的差異を、この間の情況は明確に示すことになった。この彼我の断絶は、沖縄民衆の存在そのものの《生の飢餓》の戦いへの想像力を、私たちが決定的に欠いていることを如実に現出させたのだ。ハンガリー56年革命をめぐる映画を観ることは、実はこのことに深くつながっているだろう。《生の飢餓》の戦い。
 信じてくれ/ぼくは逆さに吊られ殺された/ぼくがちっとも知らない街 ブダペストで/吊るせ 人民の敵/ブランコみたいに揺すぶるのがいる/まだ息するぞなんて最後に頭をたたき割ったのがいる/残酷なかれら/かれらは知らないんだ 今朝九時にぼくが塩鮭で飯を/食べたことなんか/それでハンガリヤ語の呻きが解るか 憎悪の呻きが/躰より大きい胃袋 盲の眼を知っているか/足が胴の前を駆けた 肩から抜けた手が首を絞めた(以下略)
 (黒田喜夫『ハンガリヤの笑い』より)
 56年、遠いハンガリーで起った革命は、この国で変革を志向する人々の心を強く揺さぶった。それはまさに、ちっとも知らない街で逆さに吊られて殺される、ほどの衝撃であったのだ。そこで起っていることの内実がほとんど判らぬ極東の地にあって、存在の革命を現実の変革運動の中で夢想していた運動者=黒田は、その独特な身体感覚によって、革命の中で死を宣告されたのが、ハンガリーの立ち上った民衆ではなく、20世紀の革命運動そのものであり、その渦中にあった黒田自身であるという、痛苦にみちた想いをいだかざるを得なかったのである。彼は生き死にの涯では、生身の肉体は笑いに至るしかないと苦く確認する。この時、黒田の、死にいたる飢餓、という内実には、詩という行為を選びとることに明らかなように、生の飢餓ということが内在する。「死にいたる飢餓」からの解放のためには、観念の革命論ではなく、時に、実践上の逸脱さえ是とされる、民衆の存在の底からの運動の重さに応えることのできなかったこの国の革命運動と、それを担った一人たる己へと、彼はハンガリーの現実を引き寄せる。黒田にとって、ハンガリー民衆の実存をかけた革命は、この国の現実の中に閉塞した運動への深い省察をもたらした。
 事情通を装った訳知り顔の言説が横行するこの国にあって、情報とは己の拠って立つ基盤を深く掘り下げ、問うことによってしか、真に情報となることはないのだ、ということを思い出そう。黒田の方法、すなわち「死にいたる飢餓」という絶対状況を根拠においた、身体感覚に根ざした深い問いによって、横行する「情報」とはまったく異った位相の、コミュニケーションの回路が生まれることを、改めて確認しておきたいと思う。
 さて、ハンガリー革命を忘却の涯に流しさろうとする私たちの前に現われた『君の涙 ドナウに流れ』によって浮上した課題とは今日、全世界で明らかになっている《生の飢餓》という問題ではなかろうか。絶対的な、死に至る飢餓ではないが、人間という存在にとっての生の条件である、生の飢餓を癒すことへの渇望、生の充足に対する希求こそが、映画の中から立ち上ってくる。そして、この生の飢餓は時に多くの死さえも招来することは、今日の日本の現実を見れば明らかであり、スターリン主義体制が結局のところ、絶対的な飢餓だけしか見てこなかった中で──しかし、その人類史上最悪の体制は、絶対的な飢餓による死者を数知れず作り出した──、ハンガリー民衆の運動は生の充足を求める自由の運動であったことが、ようやく今日判り始めたのである。それは、社会主義の内での革命、反革命の問題ではなく、革命の内実を問う位相の違いによって起こったのだった。そしてこの映画は、そのことを問い始めているのだ。
 だがしかし、本作は極めて単眼的で一国的な歴史観を前提に、大量物量を使ってのハリウッド風再現アクション映画の枠の中に完結してしまっているのではないか。ここには、黒田の問いも生の飢餓への視点も忘れられている。そして、懐かしいハンガリーの我らの祖先へのノスタルジアが露出する。勿論、ヒロイン・ヴィキの中に濃く滲み出る、生の充足を求める生き方の中に、生の戦いを見ることはできる。しかし、スポーツ(水球)──これだけでハンガリー民衆のソ連への心性を描くことは難しい──や、街頭戦闘シーンの迫力に象徴されるように、アクション映画としての興奮に、観る者は圧倒されるばかりだ。
 ノスタルジアに偏することなく、生の飢餓を正面から問うアクション映画の道はなかったのか。20世紀の歴史にとって重い課題を残したまま、忘れられようとするハンガリー革命。それを博物館の展示のようにではなく、見せることは、私たちの現在を描く方法にもつながっていることなのだから。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 なめらかな世界と、その敵
(伴名練)
2位 石川九楊自伝図録 わが書を語る
(石川九楊)
3位 罪の轍
(奥田英朗)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 一切なりゆき
(樹木希林)
2位 一人暮らし
わたしの孤独のたのしみ方
(曽野綾子)
3位 のっけから失礼します
(三浦しをん)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約