No.2766

『ロリータ』ナボコフ著/若島正訳

新潮社刊

2006.3.18日

2766号

対談若島正×沼野充義

言葉遊びを「遊んだ」冒険

:いま正確性があると言ったばかりですが、その一方で、言葉遊び的な側面は出来る限り遊ぼうという姿勢も感じられます。言葉遊びには音の遊びも含まれていて、冒頭のL音が強調されたアリタレーションは日本語訳では保持できなかったということでしたが、他では結構遊んでいますよね。私もあまり綿密に書き出してはいないのですが、例えばロリータはロー(Lo)とも呼ばれていて、母親が“Lo!”と言って怒るとロリータが “And behold”と応じる。Lo and beholdは「見よ」というちょっと古めかしい英語の慣用句なんですが、それを若島さんは「ロー!」、「労(ルビ:ロー)多くして、でしょ」とやっている。こういう言葉遊びをどう訳すかは大問題ですね。若島さんはその大家ですけれども、その辺はいかがですか。

:例えばアリタレーションは本当に多くて、実は翻訳の下書きを作った段階では訳さないつもりでした。時間が無かったこともあるんですが、特に第一部はほとんど無視してました。とにかく第一部は軽くやって、第二部になってちょっとやってみようかな、と思って、やり始めた。第二部が終わったところで、だったら第一部もやろうかな、と(会場笑)。下書きを読んでもらった人にアリタレーションのある箇所を全部チェックしてもらったら、付箋が100以上付きました。それを順番にやっていったんですが、方針としてはLの音だったら「ら行」の音で合わせる。それがダメなら別の行の音で合わせる。ただナボコフがその音を選んだ理由がある場合は、ちょっと他の行では出来ない可能性がある。そういうことで実際に出来たのは僕の感覚としては4、5割くらいの打率じゃないかと思います。

 その他の言葉遊びというのは要するに洒落ですね。それは可能なかぎり日本語で処理する。それは完全にケースバイケースでいろんな手を使いました。例えば一箇所しか出てこないから、とキャラクターの名前を変えてしまったり。やり過ぎかなと思って止めたケースもあります。例えば、この小説にクィルティという重要な登場人物がいるわけですけれども、彼が英語なまりの変なフランス語をしゃべるわけですよ。でも、それって普通に考えたら日本語には出来ないですよね。それで最初はその文章を完全に削って、原文と関係無い勝手な文章をそこに書いておいたんです。「サルトルス大佐ってやつか?」というナンセンスな文章ですが、サルトルス大佐というのは、サルトルとフォークナーの『サートリス』という作品を語呂合わせしたもので、これは二人ともナボコフが嫌いな作家なんですよ(笑)。でも下書きを読んでくれた人に「これ一体どういうことですか?」と言われちゃったんで、さすがにやり過ぎたと思って止めたんですけれども(笑)。

 その他にいろんなところで日本文学の引用や捩りを入れたりしました。それから私はカラオケ好きなもんですから(笑)、日本の演歌の歌詞を3つぐらい入れたり、と、いろいろやってます。それは訳者としての特権と言いますか(笑)、ナボコフはロシア語訳で結構自由なことをしてますので、私も多少の自由が許されてもいいだろう(笑)、という感じです。

:日本の翻訳家、特に大学の先生は原文に対する忠実さを重んじるというか、それが実はあまり正確じゃ無かったりするんですけど(笑)、やっぱり言葉遊びの遊びの面を生かして訳そうとすると、意味が原文と違っちゃうから怖くて出来ないということはありますよね。日本だと柳瀬尚紀さんみたいに駄洒落をどう訳すかに命を懸けているみたいな人もいますが(会場笑)、どちらかといえば少数派。若島さんがナボコフであえて言葉遊びにこだわっているのは、大変面白いと思います。

:少なくとも新潮文庫版ではそういう遊びはやっていないし、やらないという方針だったと思います。そうは言っても、あとがきにも書きましたが、実は文庫版でも2箇所だけやっているところを発見しまして(笑)。なんでそこだけやっているのか不思議な話ですけど。しかしこの小説は全編にそういうところがあるので、こちらとしては出来るだけのことはやったつもりなんです。

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