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文学
テロリストへの万感の弔意
書籍・作品名 : ベル・カント
著者・制作者名 : アン・バチェット/山本やよい訳 早川epi文庫 2019.10  
すすむA   59才   男性   





2002年のPen/フォークナー賞を獲得した佳作である。渡辺謙主演で映画化もされたが、2019年秋の日本公開時は、時期を逸したためか、上映館も少なく、ひっそりと終わったのが残念だった。渡辺謙は公式HPの中で、企画は10年ほど前からあったが、「911の後、世界で様々なテロが起きている中で、この話が受け入れ」られるかどうかが問題となり、長い間中断されていた」と述べている。

「後書き」の原作者と訳者の対談で、アン・パテェットは、1996年のペルー日本大使館占拠事件が作品のモチーフとなったと述べている。物語内現在も1954年に11歳だったホソカワ少年が、53歳の誕生日パーティーを南米の小国から提供されたとあるから、1996年である。

ここまで時期を合わせているのだから、他の類似性をも探りたくなる。実事件との比較には、当時ペルー大使館員で人質に取られた小倉英敬氏の著書『封殺された対話 ペルー日本大使公邸占拠事件再考』(平凡社2000.5)が参考になる。

事件の発生した日;12月17日(小説は10月22日、以下同じ)、場所;リマにある日本大使館公邸(南米小国の副大統領公邸)、左翼ゲリラの数;14名うち女性2人(指揮官3名を含む18人うち女性2人)、人質;当初は現地職員も含めて621人、一部解放後は74人(来客191人と従業員等30余人、一部解放後は40人うち女性1人)、襲撃時の死者;2人(0人)、占拠期間127日(4ヶ月半)、救出手段;地下トンネルを掘る(地下トンネル)、ゲリラの末路;全員射殺うち何名かは投降現場で銃殺(全員射殺うち3名は投降現場で銃殺)。重大な違いは、発生場所が日本大使館公邸だったのに対し、小説は副大統領公邸であること。大使館は「治外法権地」であり、現地政府が勝手に立ち入ってはならないとされている。ペルー・フジモリ政府の取った治安部隊の突入は国際法上「違法」行為であった。作者はこういう政治的な問題に介入したくなかった、と読める。

物語は、南米の「神に見捨てられた」貧しい小国が主催する、日本の(ソニーを思わせる)世界企業社長ホソカワに投資を促すためのパーティーに、テロリストが乱入するところから始まる。ホソカワはこの国に投資する気は全くないのだが、オペラ好きの彼を呼ぶための人寄せとした、マリア・カラスすら足下にも及ばないと評判のソプラノ歌手ロクサーヌ・コスの歌声を聞きたいばかりに招待を受ける。だがテロリストが拉致しようとしたこの国の大統領は、大好きな連続テレビドラマを生放送で見るためにドタキャンしていた。目算が狂った彼らはパーティーにいた各国の著名人を人質に取り、投獄されている仲間の釈放を要求する。予期せぬ人質になってしまった互いに言葉の通じない各国の招待者たちが、同じく「価値ある」とされて囚われたロスが毎日歌う美しい歌声に癒やされつつ、互いに団結しあい協力しあって行くのだが、それがテロリストにまでも及んでしまうと言うのが眼目だ。実際、赤十字の交渉人ヨアヒム・メスネルがベンハミン司令官にもう「あなたに人質は殺せない」と言わせるまでにテロリストは軟化してしまう。公邸で初めて味わう、ふかふかのソファにも美味い料理にもまして世界的ソプラノ歌手の歌にも無縁だった無知で若いテロリストたちも、ドタキャンの大統領と同じテレビ番組に息を詰め、これが永遠に続けば良いと願うのも無理もない夢の状況が生まれる。膠着状態のなかでロスとホソカワとの恋、テロリスト少女のカルメンとホソカワの通訳ゲン・ワタナベとの恋が生まれ、普段は多忙の「貴賓」たちの自己省察や、テロリストの少年少女との生活では、底辺に生きる若者たちに別の可能性もあるかも知れないとの淡い夢すら生みだす。だがこんなことが長く続くはずがない。

ある日、交渉人の赤十字職員ヨアヒム・メスネルが「今夜中に投降しろ」と暗い顔で司令官を諭す。翌日テロリストたちが銃を置いてサッカーに興じる最中に、同国の対テロ特殊部隊の突撃が始まる。小説は権力側の政治的思惑には全く触ずにいて、「楽園のお楽しみ」はこれでおしまいとばかり、読者を現実に引き戻す。結末の衝撃は大きい。

治安部隊がホソカワへの誤射を始め、なぜ銃を捨てて投降するテロリストまでも無慈悲に射殺してしまったのか、小説は小倉書の、フジモリ大統領の強権主義を非難する論調とは違って、光景だけを詳しく述べるだけで政治的是非には介入しない。最後にアメリカ小説らしくテロリストは絶対悪だという言説に立ち戻って、襲撃を肯定してしまったのか。だがそう思われない証左がある。それはテロリスト18名の名前が全部挙げられていることである。著者は貧しく生まれ貧しく育ち、人生の楽しみを味わう前に殺されてしまった若者に万感の弔意を手向けていると思われるのである。






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