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文学
こんな素晴らしい本を絶版にしておくなんて
書籍・作品名 : 〚レ・ミゼラブル〛百六景-木版挿絵で読む名作の背景
著者・制作者名 : 鹿島茂 文芸春秋 1987.6  
すすむA   58才   男性   





文春文庫版(2012年発行)を購入したが、画が小さすぎるのが難点で、苦労してハードカバーを中古で買い求めた。こんな素敵な本を絶版にしておくのは実にもったいないと思う。

大著〚レ・ミゼラブル〛は1862年に10巻本で発刊されるとたちまち大評判となり、数年後には民衆の識字率を考慮した複数の挿絵入りの版が出た。ユーグ版では買いやすさを考慮して全体を233に分冊し、5年がかりで刊行したという。当時の人々は、かつての日本人が週刊誌に掲載される松本清張の連載小説が待ちきれなかったように、これをむさぼるように楽しんだのだろう。これも今となっては稀覯本だが、鹿島茂氏はパリ滞在中に一冊を発見し、「安からぬ」金額で求めたという。同書には360葉の木口木版があるが、そのなかから100枚前後(私の数えでは110頁に179葉)を「断腸の思いで」選び分け、小説の要約等を付して一冊の絵物語に仕立てたのが本書である。

それらの画を眺めるだけでも楽しいのに、現在では「完全本」と言われるようになった5部仕立ての小説の全内容もかなり詳しく要約されていて、若いころに読んだ感動を細部に亘るまで思いださせる。さらに作家論や当時の社会情勢や地形までもが巧みに織り込まれていて、この一冊を読んだだけで全巻を再読し理解した気分になる。毎度のことながら著者の筆力に圧倒される。

本書を読んで身につまされるのは、貧しい人たちの貧しさだ。皆無に等しい救済制度に加え、政情不安や、不潔な環境による一つの街を全滅させるほどの疫病が度々襲う。人々の経済的・身分的な上昇の機会はほとんどなく、転落すれば二度と這い上がれない。特に女性は輪をかけてひどい。都市部での私生児率は20%、機織女工の多い織物地では32%に上ったという。騙され捨てられた女たちは娼婦になるしかなかった。ファンチーヌも例外ではない。だからこそジャン・ヴァルジャンの自助努力による成功譚が目立つのだ。

ブルジョアジーのユゴーは最初貧しい人たち(レ・ミゼラブル)を「貧困に虐げられた同情すべき弱者」と「貧困のゆえに悪事を働く非道者」とのアンビヴァレントな見解の間で揺れ動いていたが、やがて貧しくても高潔な人ジャン・ヴァルジャンと貧しく唾棄すべき人テナルディエという正反対の人物を創造する。だがテナルディエにはあえて娘のエポニーヌと息子のガヴロッシュを付して、貧しい人が百パーセント極道に走るわけではないことを示す。更に徒刑囚の父を持ち、それゆえに罪人を強く憎む、ジャヴェールのような自他ともに法律に厳格な警部を配するが、物語の進行はそんな勧善懲悪な世界をずらして見せる。奥行きの深さに驚かざるを得ない。

ユゴーは、カトリック信者ではなく、教会へも行かなかったという指摘にも驚いた。近くに愛人を住まわせ、不倫問題で裁判沙汰になったり、女中に手を付けたりするなど、身持ちのよい男ではない。半面貴族院議員を務め、ナポレオン三世を非難して亡命を余儀なくされるなど、気骨の大人である。一方ジャン・ヴァルジャンは生涯独身を通し、女と接触したことは一度もない。多分童貞だった。「激しい性欲」の持ち主と言われるユゴーの反分身であるのかもしれない。

ジャン・ヴァルジャンはミリエル司教によってキリスト教の「善」に目覚めたと思っていたが、ユゴーは司教をむしろカトリックの「異端者」として書いたという。作家は人文主義者なのだ。そのユゴーも王党派からボナパルティストを経て最後は共和主義者になってゆくのだから、作家もこの小説を書くことで進化したのだろう。よく読めばこの本の根底にあるのは、単なる恋愛小説を超える「理想社会建設」への夢である。もちろん彼は社会主義者ではなく、そのような思想が小説の前面に押し出てくることはなかったが、納得されられる解説である。

さてその挿画であるが、評判の高い画家ブリオンの他に16名の二流画家の手になるものだという。巻末に画家一覧と各人が描いた画の頁番号が記載されている。よく比較すれば作風の差が判るが、そのどれが見劣りするかは感じられなかった。著者も言うように、いずれも「当時の時代の雰囲気をよく伝えて」おり、薄暗い灯火の下での民衆の生き様が脳裏に浮かんでくる。木口木版(こぐちもくはん)は板目木版とは反対に立木を輪切りにした切り口(木口)を版面として、ビュランやノミによって彫版する版画で、繊細な表現効果をもつと言われる。今ではあまり使われないようだが、エッチングとはひと味違う柔らかい感触に陶然となる。鹿島茂氏は本当に良いものを見せてくれた。






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